1979年、父・朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺事件で亡くなった後、朴槿恵には不遇な時代があった。朴体制下でいじめられた野党陣営の闘士、金大中(キム・デジュン)や金泳三(ヨンサム)らが復活し、朴政権のナンバー2だった金鍾泌(ジョンピル)も彼女とは距離を置いた。 そんな80年代に1度、日本をブラリ訪れたことがある。たしか日本船舶振興会会長で日本財団の創始者である右派の大物、笹川良一の招きだった。その時、京都などを観光旅行した。彼女にとってはいわば“癒やしの旅”だった。 98年に政界入りした後、平壌での金正日(ジョンイル)総書記との会談(2002年)を含め数多くの外遊をこなしてきた。その中で日本には06年3月、野党ハンナラ党(現セヌリ党の前身)の代表として公式訪問した。 この時、小泉純一郎首相や安倍晋三官房長官ら多くの日本の要人と会ったほか、日本記者クラブで記者会見して対日観を披露した。