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人生のレールから外れた同級生達の話。 僕の同級生は僕以上に人生のレールから外れている。 一人は医学部を目指すも6年浪人しても合格できず薬学部に入り、 一人は5年浪人して医学部に入り、 一人は7年浪人して今、獣医学部を目指している。 僕はこの現実を知って思ったのは諦めずにやりたいことのできる大学に入学して 周りより遅れてでも夢をかなえるってとてもすばらしい生き方だと思う。 現役で行きたくもない並の大学で文系の学部に行って学費をどぶに捨てるくらいなら、 多少人生ロスしてでも医者になりたいなら医学部にいくべきだし、 獣医になりたいんなら獣医学部に行くべきである。 人生は一度しかないのだから、 やりたいことができないで死んでしまったら、なんのために生まれてきたかわからない。 だったら周りの目を気にしないでやりたいことができる大学に入学して、資格をとって職業にすればいい。 早
前回、フミコフミオの書いた「自殺ストリップやめろ」という記事に宛てて記事を書いて、反響が大きかったので、今回はもっと真剣に書いてみたい。 「誰かを叩く形でネットに出現した正義=悪くらいに思っておいたほうがいい」と記事中に書いた。 これを補足すると、内容の善悪とは別に、構造的な善悪があると、僕は思っている。 クラス全員で一人の生徒をいじめていたとして、いじめられている生徒は確かにクラスメイトの大切なものを壊した。被害を受けた一人の生徒がそいつに対して無視したり悪態をつくのは正当だ。しかしクラス全員でそれをやると「いじめ」になる。そして、内容の熱が消えた後にも構造がずっと残っていくということはよくある。 「こいつのしたことは許せない」と「誰かを一方的に殴る長い列に加わるのは恥ずかしい」の2つは両立するし、別のレイヤにあるものだ。 北条かやに関しては、『キャバ嬢の社会学』を読んだときからあまり好
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