2015年5月11日のブックマーク (2件)

  • 父が子育て身代金を減額した話 - wHite_caKe

    すげえ腹立つわ|愛情料理研究家 土岐山協子の 『料理はしないんだけど料理研究家のブログ』 この記事を読んで、思い出した話をします。 小学生の頃、母親がテニスサークルに通い始めて、時々家を空けるようになりました。 私は最初、とても驚いて戸惑いました。お母さんというのはいつも家にいる人だと思っていましたし、お母さんが家族と一緒に晩御飯をべないなんて想像を超えた事態のように思えました。 寂しさがなかったといえば嘘になります。手早く事を用意して、 「これとこれはちょっとあっためてべなさい。こっちはそのままで大丈夫」 などと指示をする母親は明らかにうきうきと楽しそうでした。自分たちを置いて出かけることを母親が楽しみにしているんだと感じた時、やっぱり多少のショックはあったのです。 ですがそれは、ほんの短い間だけのこと。 母が出かける最初の日、父親は張り切った様子で帰宅すると、こう宣言しました。

    父が子育て身代金を減額した話 - wHite_caKe
  • 萩本欽一さんに聞く「テレビが娯楽の2番になったワケ」:朝日新聞デジタル

    1980年代前半、自らの名前を冠した3のバラエティー番組がすべて視聴率30%を超えたことから「視聴率100%男」と呼ばれた萩欽一(74)。「視聴率」から「テレビのカタチ」まで幅広く「思い」を聞いた。 ――「視聴率」とはビデオリサーチ社が調べた放送中に番組をみた世帯の割合を示します。萩さんにとって、視聴率とはどういうものですか。 数字は「責任」ですね。「コント55号」をやっている時は、関係ないものだと気にしなかった。数字を知ってからは、数字を言わないでくれと頼んでいました。20(パーセント)いったり、30になったりしたら教えてくれと言っていました。「前よりいいです」「周りよりいい」「だんだんいい」と、直接は話題に触れさせないようにね。数字と戦っているのは哀れな気がしてね。人気取りにはなりたくなかったし。 数字はタレントがどんなに頑張っても20しか行かないんですね。その先はスタッフの頑張

    萩本欽一さんに聞く「テレビが娯楽の2番になったワケ」:朝日新聞デジタル
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    wintertop 2015/05/11