言論の多様性という観点からは、いろいろな意見が番組内で紹介されるのはいいことだ。違う意見があるということを意識し、それをうまく乗り越えることで社会が強くなっていく。 だが「言論の自由」と「自由な言論」は違う。表現の自由があるからといって、何でも言っていいわけではない。どこまで表現の自由が許されるかは、市民社会の中で合意ができてくる。例えば、川崎のヘイトスピーチのデモが止まったのは、まさに市民力だと考えている。 沖縄の米軍基地反対運動を扱った東京MXテレビの番組「ニュース女子」は、ニュースバラエティーとはいえニュースという冠をつけており、基本は事実に基づいたものであるべきだ。事実と意見は峻別(しゅんべつ)するのがルールだが、番組ではどこまでが意見で何が事実か分からない。ジャーナリズムは真実を追求し、誠実に伝えるべきだが、今回はどちらも努力の跡が見られない。事実に基づくというジャーナリズムの原
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