ブックマーク / note.com/kunilabo (3)

  • 忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):④忘却に抗う|KUNILABO

    聞き手=Ćisato Nasu 写真=寺西孝友 責任編集=KUNILABO 忘却に抗う そもそも戦争体験論というもの自体が、「忘却」に抗う力として出てきたものなんです(吉田)ーー戦争の記憶の継承について、どう思われますか。 中村:(今回の対談において)「忘却」というキーワードは、いいなと思いました。よく言われる「風化」だと、自然現象で人が関わっていないみたいですが、「忘却」というと、それを忘れさせようとする力が何なのかといったところにも注意が向くのかなと。 吉田:そもそも戦争体験論というもの自体が、「忘却」に抗う力として出てきたものなんですよね。いろんな関係の中で、忘却を強いるような動きが出てくる。それに対する反発や抗いとして、戦争体験論が議論される、という文脈なんですね。戦後何度も「戦争体験の風化」と言われる時期があったけれど、その時期についてどういうメカニズムが働いているのか、それに抗

    忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):④忘却に抗う|KUNILABO
    wkatu
    wkatu 2019/06/11
    『アジア・太平洋戦争どころか、つい最近日本も支持したイラク戦争すら、もう忘却されようとしています。』
  • 忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):③今、歴史を学ぶ意味|KUNILABO

    聞き手=Ćisato Nasu 写真=寺西孝友 責任編集=KUNILABO 今、歴史を学ぶ意味 どうやって戦争という問題を自分に引き付けて考えられるかだと思うんです(吉田)――たとえば私の周りでは、記憶の伝承について問題意識を強く持っている人は残念ながら少ないように感じるのですが、普段、学生さんと接していて、何か感じられることはありますか。 吉田:どうやって戦争という問題を自分に引き付けて考えられるか、というところではっきりしないんだと思うんですよね。江戸時代も平安時代もアジア太平洋戦争の時代も、すべて一緒の感覚。自分の今立っている地平と地続きになっている、自分自身の問題でもあるんだという風に、なかなか考えられない。今回の著書(『日軍兵士: アジア・太平洋戦争の現実』)で意識したのは、身体性。体の問題というのは、自分に置き換えられるじゃないですか。一番分かりやすい例だと、負担量(ライフル

    忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):③今、歴史を学ぶ意味|KUNILABO
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    wkatu 2019/06/11
  • 忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):①戦争の記憶|KUNILABO

    聞き手=Ćisato Nasu 写真=寺西孝友 責任編集=KUNILABO テレビをつければ、何かにつけて日人のアイデンティティを鼓舞しナショナリズムを掻き立てるような番組が多く見られ、意図的な力も感じられる。もちろん、日の良いところを紹介すること自体は悪いことではない。しかし、そこに、他国に対する批判や脅威といった話が入り込んできた場合、簡単に新たな戦争へと世論が動いていくのではないか――。ここ数年、そんな漠然とした不安や焦燥感があった。 平成が終わろうとしている今、第二次世界大戦を直接知る世代が生きている時代もまた、終わろうとしている。様々な資料をアーカイブ化して残そうという動きは重要であるものの、ただ記録を残すだけでは、それを受け取る側にすべてが託され、活用されないままとなってしまいかねない。 時代の波に、過去の戦争の記憶がかき消され/上書きされていく。そうした「忘却」の問題に、

    忘却に抗う――平成の終わりと戦争の記憶――(吉田裕×中村江里対談):①戦争の記憶|KUNILABO
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    wkatu 2019/06/11
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