政府の施策に不服なとき、抗議活動や次の選挙での投票行動変更をするのではなく、単に「言うことを聞かない」というアノミーが蔓延しているらしい。しかし、逆に考えれば、そう淡々と「言うことを聞かない」を選択する有権者だからこそ、これまでデモや野党支持が広がらずにすんでいたのかもしれない。
このところ観察されるのは、以前なら不謹慎で露悪的な笑いを求めたような層の一部が、逆に「キャンセルカルチャー」に棹差す側にまわる方がおもしろいと考えはじめたらしいことである。いま思えば、数年前のヘイト動画通報祭りで言われた「ポリコレ棒で音の出る玩具を叩いて遊ぶ」がその徴候であった。
大河ドラマ視聴者のなかには「戦は嫌だ」的な台詞を現代的観点の混入と忌避する者がいて、どうも件の(元)考証者もそこへの介入を期待されていた節がある。しかし、中世の武士も自分の稼業を罪深いと考えて仏教にすがったりしたわけで、彼らに厭戦思考「も」あったのを否定するのは逆に難しいのでは。
北米の右翼の陰謀論が、リベラル側の連中は小児性愛に耽っている、という方向に行くのは、彼らがそれを悪の極致と認識しているからだろうし、理性の欠片がかろうじて残っている例といえなくもない。なにせ、某国の一部界隈では、やつらは小児性愛を弾圧してくる、と騒ぐのが定番になっているのである。
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