dot.asahi.com カンニング竹山さんが仰っていることは至極もっともで、最近のネットをみていると、既存のマスメディアも「誰それがブログでこんなことを書いていた」とか「Twitterでこんな発言をした」とか、テレビのバラエティ番組でこんな話があった、とかをかなり大きく採りあげている。 そして、そういう記事(ネットメディア的には「コタツ記事」と言うそうです。取材しなくても、テレビやパソコンがあれば、コタツに入ったままで書けるような記事ってことですね)が、人気になって、記者がちゃんと取材した記事よりも多く読まれている。 写真週刊誌の取材方法についてはけっして真っ白とはいえないけれど、彼らは自分の足でネタを取ってきているんですよね。 ブログの内容とかテレビ番組での発言が「ニュース」として流れるなんて、みんなが大嫌いな「広告」と同じようなものではないか、と思うのだけれど、それを問題視する人は
最近になり、一部で微妙に盛り上がりつつあるプレミアムフライデー。月末の金曜日にいつもと違う豊かさを楽しもうというコンセプトだそうですね。 各企業からはプレミアムフライデー向けのキャンペーンが続々と登場しているわけですが、あの有名チェーン「手作り居酒屋 甘太郎」から、トンデモナイキャンペーンが発表されたというではありませんか! そのキャンペーンとは…… ちょ、天国かよ! 楽園かよ!! から揚げ食べ放題で、お一人様280円(税抜)なんて。 これはもう、コスパ検証請負人ニポポが現地調査しなければならない案件ではないですか! 「No Limit ♪」の看板に偽りなし というわけで、さっそく……。 脊髄反射的にやってまいりました! 「手作り居酒屋 甘太郎 大宮東口店」!! 入り口にもしっかり掲げられていますからね、から揚げ食べ放題280円(税抜)の看板! 「No Limit ♪」の文字がまぶしいね。
【お詫び】 先に断っておきます。ごめんなさい。 いいですか、これは保険をかけています。 わたしは先に謝ることで保険をかけているのです。 今から読む文章を「よくわからんやつがよくわからん戯言を色々言ってるな」くらいの広い心で読み進めていただくことをお願いいたします。 ーーーーーーーーーーーーーー コミュニケーションの手段として、テキストでのやり取りがごく一般的になっている現代。 対面や電話などでコミュニケーションをとる前に、まずはメールやラインなど「文字のみ」を使用したやり取りが行われることは珍しいことではない。 でもこのコミュニケーション、文字だけのやり取り故に、表情は勿論、言い回しの微妙なニュアンスや感情を伝えることが難しく、会ってもいないのに相手に悪い印象を与えてしまうこともよくあるとおもう。 そしてそれを避けるために、人はテキストコミュニケーションにおいて様々な工夫をする。 が、本当
町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でクリストファー・ノーラン監督が第2次大戦のダンケルク撤退作戦を描いた映画『ダンケルク』について話していました。 \??劇場用本ポスターが解禁?/ これは、生き残りをかけた 「撤退」の物語。 絶体絶命の地“ダンケルク”の40万人。残り時間わずか。生き抜け、若者たち… 民間船までもが出動した「撤退作戦」を描いたスペクタクル・タイム・サスペンス『#ダンケルク』のポスターが7月1日から劇場に? pic.twitter.com/tp8coX67ug — 映画『ダンケルク』公式 (@dunkirkjp) 2017年6月28日 (町山智浩)今日はですね、一昨日アメリカで公開されて驚きの大ヒットをしている映画『ダンケルク』についてお話します。これはですね、1940年5月20日から6月4日にかけてあったダンケルク撤退作戦という戦争(第2次大戦)のはじめの時にあっ
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は茨城県のある社団法人のパート職員、タイチさん(45歳)のケースに迫る。彼はうつ病とアスペルガー症候群だと診断されている。 同じような家屋が並ぶ住宅街の中、その家はひときわ人目を引いた。真夏の日差しを浴びて生い茂る庭木。枝先が隣家にまでせり出している。玄関前には、雨ざらしにされた大量の書籍。大人の背丈ほどある本の山が今にも崩れそうだ。 茨城県のある社団法人のパート職員タイチさん(45歳、仮名)は、玄関前の書籍について「趣味が書籍の収集なんです。古本なら1度に50冊ほどまとめて購入することもあります」と説明する。なぜ、整理しないのかと尋ねると、一転
親の片方が小学校入学直前に死んだ。急死だったらしい。死体を見付けたのは私だった。 残った方の親はろくでなしだったので子育てなんて出来るはずも無く、親戚の家を転々とした。 親戚はドラマに出てくるようなひどい人は居なかった。でも歓迎はされていないのは解っていたので、いつも肩身が狭かった。 それでもとうとう行く先が無くなって、小学校を卒業してすぐ施設に入った。これが最低だった。 底辺の掃き溜めっていうか、まともな奴がほとんど居ない。学校毎日行ってるだけで優等生で、いじめも暴力も当たり前に横行してた。 薬やってる奴も居たし、体売って小遣い稼ぐのも万引きして欲しいもの手に入れるのも普通だった。 あそこに入ってる子とは遊んじゃダメって親に言われた…と疎遠になった子も居る。子供心にそりゃそうだって思った。今でもあの親は正しかったと思う。 私は施設色に染まらなかったので施設の中に友達は出来ず、外の子とばか
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