◎白洲次郎が戦前に関わっていた、『セール・フレーザー商会』という 会社はいったい何か。以下ネットで拾うことが出来た情報です。 神戸の歴史『九鬼奔流』より、“白洲退三” 帰国後(1928、昭和3年)、(白洲)次郎はジャパン・アドバタイザーという新聞社に就職する。この頃ケンブリッジ留学の経歴を持っていれば、官民の別なく、どんなところへでも就職できただろう。 日本を海外に紹介するこの新聞社をわざわざ選んだのがどういう動機だったのかは分からない。いずれにせよ給与の余りの低さにすぐ退社し、セール・フレーザー商会という英国系貿易会社に転じている。通常の会社の十倍の高給であったという。 <以上引用> 『新潟産業大学HP』より、マーチャント・バンク (pdf) P.18 外貨社債発行状況(明治26年から大正3年)に “北拓債券 500万円 引受人 セール・フレイザー商会”の記載あり。 ※編注:明治末期の5