2008年6月21日のブックマーク (5件)

  • 僕らは毎日チェリオを飲んでいた - Everything You’ve Ever Dreamed

    商談はうまくいかなかった。不発弾を抱えたような心持ちで地下街から出ると霧雨が街を覆っていた。むししとした湿気から逃げ、飛び込んだ先はゲームセンターだった。ネクタイを緩め、空調の効いた空気を襟元に入れながら周りを見渡した僕は久しぶりに訪れた「ゲーセン」の様変わりに驚いた。二人組の女の子やカップルがいるなんて。 僕と西ヤン。僕らは悪友だ。「悪友」の上に「ワル」と格好のいいルビを戴冠させたいけれど、どう贔屓目にみても僕らはただのボンクラだった。正義感と想像力だけが暴発していた。「10年後の1999年に世界は滅びるというのに何で皆は平気な顔をしていられるんだ!」という壮大かつバカな熱意だけで「二酸化炭素友の会」を結成し、授業をサボって校舎裏の樹木にハーハー息を吹き掛けているところを発見され体育教官室に羽交い締めでひきずりこまれたりしていた。意味のわからないままに聴いていたフランク・ザッパの音楽が僕

    僕らは毎日チェリオを飲んでいた - Everything You’ve Ever Dreamed
  •  朝、テレビ、自転車 - イチニクス遊覧日記

    蒸し暑いなーて思いながら眠り、目覚めた時には案の定、布団ははねのけられている。ねぼけたままお湯湧かして、支度しながらコーヒー飲んで、ばたばたばた、TVの向こう、名前もしらないアナウンサーがおはようございますと、顔を上げるのをまってスイッチを切る。むこうとこっちの距離が、急に離れるみたいな気分。 → 意図的にではないのだけど、たぶん母親が冬のソナタにはまったせいで、私はほとんどテレビを見なくなった。というかテレビが常に冬のソナタになってしまった。冬ソナブームが終わったあともしばらく韓国ドラマにテレビは独占され、私はそのままテレビを見ることをほとんど忘れていた。 でも最近、久しぶりによくテレビをつけるようになって思うのは、テレビって見たいものが見たいときに見れるわけじゃないんだなーということだった。スイッチを切っていても、テレビの向こう側はずっと流れてる感じがする。なんだろ、セワシ君が過去のの

     朝、テレビ、自転車 - イチニクス遊覧日記
    wtnb18
    wtnb18 2008/06/21
    >気分が良くなって、わたしの生活に足りないのは音楽だったんだーとか、たぶんこれまで何度も思ったことを思う。
  • アメリカビーバー・ソングブック - ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ

    迷えるビーバーの歌 ぼくビーバー どうしたってビーバー 外では何が起こってる 巣にしみこんだ雨が 元々濡れてる毛を湿らせるこんな日に 噛み砕いた木々が歯茎に刺さるのに それでも前歯伸び続けるのか 危険を知らせる時はしっぽで水面を叩くから 耳は澄ませておけなんて父さんは言うけれど ほら今日もせっせとダム作ってる 水せき止めてご満悦のぼくらがいるよ 夜行の性が疼いて月夜にそっと巣を抜け出しても 会うのはビーバービーバーばかり ぼくビーバー デイドリームビリーバー ダムと巣は実は一緒なんだ ダムガス スガダム 森では今日もウサギが殺された 大自然のアラスカでもいやなことぐらいある。ぼくはその日、とてもイライラしていたんだった。とは言ってもその日が特別だったわけじゃない。ぼくは毎日、色々なことにうんざりしていた。あんな薄暗い巣の中にいればなおさらだ。 ぼくは、外に遊びに行こうとしたところを父さんに

    アメリカビーバー・ソングブック - ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ
  • 最近のインターネット - matakimika@hatenadiary.jp

    ってて「あれっつまんない。つまんないよ?」てなるときの地面消失感には、慣れていいやらいかんやら。 「ひとのふりみて我がふり直せ」という言葉があって、これを参考にするとネットのアレな言動を見たときに、それを自分が発言した場合を想定(あるいは実際に自分が過去に似たような発言をしていた事例などを回想)して「あー、これはいかんな」と自省材を増やすかんじになるかと思うんだけど、近年はそうした状況を見かけたとき「クリリンのことかー!」とか発散して反省しない方向へ向ってるかんじなので、新しいリアルなのかなーと思う。グローバリゼーションっていうか。でも発散が発散で終わると、同じこと何度でもやっちゃうんだよなー。飽きるまでやって飽きたら無反応になる、という意味では、大差ないのかもだけど。 インターネット観察家としてのおれの研究成果なのだが、「優越感ゲーム好き」以外に「優越感負けず嫌い」っていう属性がある

    最近のインターネット - matakimika@hatenadiary.jp
    wtnb18
    wtnb18 2008/06/21
    >反省しない方向へ向ってるかんじなので、新しいリアル
  • さびしさの運用について - Mellow My Mind

    「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ