ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳』を読んで、啓蒙されたので、以下、考えたことを記しておきます。 本書は、おおまかに「学問の意義」「功利主義」「ジェンダー論」「幸福論」を扱う4部構成で、各章の独立性も高く、この一冊で相当広いトピックが扱われている。著者のベンジャミン・クリッツァーは在野の批評家。ブログ「道徳的動物日記」の著者であるブロガー、デビット・ライスとしても活動している。 ヴィーガニズム、「権利」という語彙、「ロマンティック・・ラブ」、「ブルシット・ジョブ」等々の話題を、倫理学―—特に印象的に引用されるのはピーター・シンガーである——の知見を参照して論じていくのだが、論旨は明瞭で結論も説得性があり、はっきりいってめっちゃ啓蒙されてしまいました。本書であつかわれている事柄に関連する話題をふられたら、したり顔で本書に書いてあったことを口にしちゃうかも、と思うくらい。 そうした個別
性行為の際に、同意がないのにコンドームを使用しないなどの「ステルシング」と呼ばれる行為について、性暴力の一種だとして被害を訴える声が相次いでいて、専門家は、対策の必要性を指摘しています。 「ステルシング」は性行為の最中にコンドームを同意なく外すなどの行為で、望まない妊娠のリスクや性感染症のおそれのほか大きな精神的ダメージを受けることがあります。 性被害に詳しい弁護士などによりますと、最近は、恋人どうしであっても性暴力の一種ととらえられるようになり、アメリカなどでは社会的な問題にもなっているということです。 都内に住む30代の女性は去年、40代の男性と親しい関係になりましたが、性行為中にコンドームを装着するよう求めたところ装着するふりをして実際にはつけていなかったことが分かったということです。 男性に対し「妊娠のリスクを考えてくれていない。信じていたのに失望した」と伝えましたが、十分な謝罪が
年収300万の考える年収1000万のくらしは2000万あっても実現できない。 一方Twitterの年収1000万は「業務スーパーでしか買い物できない」みたいな自虐ばっかで話にならない。 ということで、年収400万~年収1800万まで経験した俺がリアルな年収1000万の暮らしを書いておく。 なおもちろんN=1の経験談であり、これが万人に当てはまるわけではないことは重々承知いただきたい。 プロフィール新卒でJTCに入社。年収400万。 20代後半で結婚、子どもを1人授かる。当時の年収800万。 30歳の年にちょうど年収1000万。 31歳で都内にマンション購入。非タワマン。 現在36歳。夫婦と小学生の子1人と猫2匹でのびのび暮らす。昨年の年収は1800万。今年は2000万超えるかどうかって感じ。 なお年収は副業を含む。妻は専業主婦なので俺の年収=世帯年収。 以降は世帯年収1000万と読み替えて
最近は自分がリベラルでもなんでもないかもしれないと自覚する機会が増えた。ネットでニュースに接した時のもやっとした感じ、おぼろげな不快感によってそのように思うのだ。 なにが不快か。自分が正しいと思って声を上げている人間が不快。そういう人間の主張をあたかも「多様性」を認めることが正しいかのように、予断をもって報道するメディアの姿勢が不快。 そういうことを他人の面前で表明することはないものの、不快だと感じていることには変わりない。この他者、いなくなってくれないかな、という感覚。 まず女性の権利に関する主張。この手の報道に接するたびに、いつもクソどうでもいいと思う。じゃあ男性の権利はどうなんだと思う。 だれが権利をより多く持つのがよいかという問題について争う綱引きはすればいいと思う。つまり概念としての男女(これをジェンダーと呼ぶのか、どうでもよいが)が社会の中でどのように関係していくかという問題、
俺が言いたいのは、胎児の人権を大切にしろ!ってことではなく、むしろ逆なんすよ 「赤ん坊もぶち殺しまくっていいだろ なぜなら実質自我なんてないようなものだから」 ってことなんすよ だってそうじゃん 赤ん坊のころの自分に、まったく連続性感じねえよ あの辺って助走期間みたいなもので、つまりは胎内にいたときと大差ないじゃん でも、世の中ってよくわかんねーじゃん 3ヶ月の赤ん坊を藪に捨てて死なせたりしたら非難轟々じゃんわりと なぜなんだ 中絶するのと本質的に変わんなくねえか? 中絶禁止法にブチギレつつ、赤ん坊の命は大切にしたい人たち、どういう思考なんだ どこでどんな線引きしてんだよ 俺は、「物心ついている」と言えるくらいの賢さがある存在にしか人権を認めたくないという思想を持っているので、実際2歳児とかもぜんぜん「中絶」していいと思ってる ですから思想に一貫性があるんだ 中絶OK、赤ん坊が死んでもどう
意味が重複していると言うけど、例えば「ゴールドシップから落馬する」は違和感ないじゃん ゴールドシップは馬だから意味が重複していることに変わりはないのに もっと言うと、意味が重複してるからダメ理論は線引きがあやふやすぎて苦手なんだよな 例えば「レース中に騎手が落馬した」←馬から落馬するはNGだけどこれはOK!という人多そうだけど レース中の騎手が乗ってるのは当然馬なんだから「レース中に騎手が落ちた」で十分伝わる つまりここで「落馬した」を使うと馬要素が重複しちゃうんだよね ということは「馬から落馬した」がNGな人は「レース中に騎手が落馬した」もNGじゃなきゃ一貫していないんだよ でも実際はおそらく一貫していない人が多い そういう「結局個々の匙加減」っぷりが好きじゃないんだよな
女子テニスの大坂なおみ(2022年1月15日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / TENNIS AUSTRALIA / MORGAN HANCOCK 【6月24日 AFP】女子テニス、四大大会(グランドスラム)通算4勝の大坂なおみ(Naomi Osaka)は今週、米プロバスケットボール(NBA)のスター選手であるレブロン・ジェームズ(LeBron James)と共同で新たにメディア会社を設立すると発表した。しかし、会社名の「Hana Kuma」がスワヒリ語で下品な意味に捉えられるとして、ケニアでは騒動となっている。 【編集部おすすめ】大坂、お笑いコンビの「漂白剤」発言に皮肉込めて切り返す 元世界ランキング1位の大坂らが立ち上げた新会社は、日本語で「花」と「クマ」を意味するものとなっている。しかし、バンツー(Bantu)系民族の言語でサハラ以南のアフリカで話されているスワヒリ語では
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