twitterの時代、フローのテキストとストックのテキストの意味が、問い直されている。これまでテキストといえば、それは、ストックのテキストが、テキストであったと言って良いかもしれない。組版し、印刷されるためには、インフラが必要で、それにアクセスできる人は、限られた人であったと言って良いかもしれない。それが、1980年代にワーブロが普及し、全ての人に印刷機が普及した。これが、インターネットの時代、さらに複製と配達が可能になった。そして、twitterにより、技術的にはまとめたり、推敲もせずに思っただけのことを書き、発信できるようになった。これは、極北だ。行きつくところまで来たということではないか。 わたしは、折り返し地点だと思う。誰でも書くことが、できることは、誰でも読まれるということを意味しないのは、当然のことだ。書く力のあるある人は、書く力だけで読まれるだろうが、そんな力のない人は、書い