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  • 『多民族国家シンガポールの政治と言語-「消滅」した南洋大学の25年』田村慶子(明石書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 シンガポールのことを、「明るい北朝鮮」と言った人がいる。書を読めば、その意味がわかる。1965年の独立以来、リー・クアンユーの指導の下、人民行動党が一党独裁を続け、その独裁を批判すれば、国内治安維持法で無期限に収監される。野党も存在するが、選挙区ごとに第1党が議席を総取りするため、野党議員は当選しにくい。 書は、そのような独裁体制下で「権力に祝福されない大学」として、1955年の開学からわずか25年で幕を閉じた南洋大学(南大)の歴史を辿る。著者、田村慶子は、その歴史をつぎのように要約している。「数では圧倒的に英語派に勝るものの、政治権力から遠かった華語派華人が、英語派との抗争の末に社会の周縁に追いやられていく過程であり、権力の側から見れば、多民族多言語の社会において民族の言語や文化をどのように政治的に管理するのかという政治と言語の葛藤の歴史である」。 シン

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  • 『サストロダルソノ家の人々-ジャワ人家族三代の物語』ウマル・カヤム著、後藤乾一/姫本由美子/工藤尚子訳(段々社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 『東大講義 東南アジア近現代史』加納啓良(めこん) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「あとがき」で、著者加納啓良は「国や地域ごとに民族や言語が大きく異なる東南アジア全体の歴史を1人で描くという冒険をしている」と述べている。長年、東京大学で「東南アジア近現代史」や「東南アジア経済史」の講義を担当してきた著者が、自分自身で書きためた講義ノートを基に授業を進めるようになったのは、2012年3月に定年退職する前の2、3年にすぎず、それまでは各種参考書に頼っていたという。それだけ、東南アジア史の概説書を1人で書くことは難しい。また、高校までに東南アジアのことをほとんど学んでいない大学生に、理解してもらうことはたやすいことではなく、東大生もその例外ではない。 にもかかわらず、東南アジアについて学ぶ必要があることを、最後の第10章「20世紀末以降の東南アジア」の最後で、つぎのように述べている。「21世紀の東南アジア地域の平和・安定・繁栄は、私たちにとって遠い異国の

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  • 『ドレスを着た電信士マ・カイリー』 松田裕之 (朱鳥社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 女電信士マ・カイリーを軸にアメリカの電信事業の栄枯盛衰を描いたで、読物として抜群に面白い。 マ・カイリーは綽名で、名をマッティ・コリンズという(カイリーは二度目の夫の姓)。彼女は22歳から62歳まで40年間電信士として働き、引退後の1950年、70歳にして『バグ電鍵とわたし』という自伝を出版した。ちょうど電信の時代の幕が引かれる頃だったので、同書は話題になり女電信士マ・カイリーの武勇伝が後世に残ったわけである。 表題にあるバグ電鍵とはヴァイブロプレックス社製の横振り式電鍵のことで、商標が虫(バグ)だったことからその愛称で親しまれた。 バグ電鍵はレバーを右に振ると短符号が、左に振ると長符号が打てるすぐれもので、手首や肘に負担がかからないので女電信士がよく使った。マ・カイリーが愛用したのもヴァイブロプレックス社製である。 彼女はジェシー・ジェイムズ一味が暴れまわってい

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    xijiao
    xijiao 2013/01/06
  • 『科学の花嫁 ロマンス・理性・バイロンの娘』 ウリー (法政大学出版局) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 書はラヴレス伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングの伝記である。 彼女はある事情からファーストネームのオーガスタではなく、セカンドネームのエイダと呼ばれた。エイダは生前はバイロン卿の娘として著名だったが、現在では世界最初のプログラマーとして知られている(アメリカ軍が用いているAdaというプログラミング言語は彼女の名にちなむ)。 ロマン派のスーパースターだったバイロン周辺だけあって、何からなにまで極端で登場人物はみな異様に「濃い」。現代の感覚からすると引いてしまう話が多いが、書に書いてあることは事実として実証されたことばかりである。 エイダは生後一ヶ月にして有名人だった。母アナベラが出産早々バイロン邸を出て別居生活をはじめ、それをマスコミがおもしろおかしく伝えたからである。 当時は男尊女卑の時代だったので夫がどんなに浪費家で放蕩者であっても、は耐え忍ぶべきだとされた。

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    xijiao 2013/01/06
  • 『海のいる風景 重度心身障害のある子どもの親であるということ』児玉真美(生活書院) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「親子の間に横たわるもの」 子を授かると、新品の電化製品を購入するかのごとく、どこにも欠陥がなければいいとか、返品不可能なのだから、などと思ってしまう。重い障害のある児は生まれない方がいいとさえ言われてきた。だが、社会との接点で障害は生じる。社会の在り様や人々の接し方次第で、障害はほとんど気にならなくなり、まったく「なくす」こともできるのに、まるで障害を持って生まれたその子が悪いかのように、産んだ母親が悪いかのように、考え考えられてしまうのは、障害の何たるかを知らないからだ。親は秀でた子を求め、劣っている子は疎む。醜いことだが、これは我々の能と社会に組み込まれた愚かさの一部である。そうではないことを知っている人は、このような書き出しをしてしまうことを許してほしい。現実問題として、この競争社会を生き抜くうえでの損得を考えてしまうと、親はわが子の生まれつきの性能では満足

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    xijiao 2012/12/19
  • 『アホウドリと「帝国」日本の拡大-南洋の島々への進出から侵略へ』平岡昭利(明石書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 12月5日(水)NHKテレビは、絶滅が心配されている国の特別天然記念物アホウドリが、現在の繁殖地である伊豆諸島の鳥島から南に350キロ離れた小笠原諸島の聟島への移転の期待が膨らんだことを報道した。鳥島はしばしば火山の噴火で壊滅的な被害が出、1939年の噴火後アホウドリは絶滅したと報告されたこともあった。アホウドリは、1887年から始まった羽毛採取のために絶滅寸前になるまで撲殺され、1951年に30-40羽にまで減少した。 なぜ、大量に撲殺されたのか。一時は日の輸出品の上位にその羽毛やはく製がランクされ、フランスなどヨーロッパに輸出されたにもかかわらず、その実態は明らかではない。その理由を、著者平岡昭利は、つぎのように説明している。「鳥には、害虫をべる益鳥という考え方があり、さらに、羽毛採取のため撲殺によって捕獲し続けたアホウドリは1907年より保護鳥に、さらに19

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  • 『武器としての決断思考』瀧本哲史(星海社新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「正規戦」ではなく「ゲリラ戦」の兵士となるために 」 書は、京都大学客員准教授であり、同大学で「意思決定論」「起業論」「交渉論」などの講義を担当する瀧哲史氏が記した、若者たちを啓発するための著作である。 氏には、書『武器としての決断思考』のほかにも、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)、『武器としての交渉思考』(星海社新書)などの類書が存在するが、やはり学生に対してならば、書から読み進めることをお勧めしたい。 大学に勤務する自分自身のことを振り返ってみても、学生たちを啓発することは至難の業である。単純に「がんばれ」とか「やる気を出せ」とか、はげませば済むだけの話ではなく、そもそも「自分のことを自分で決める」という思考回路を持ち合わせていないことが多いのだ。それも、このことが彼ら自身の問題によるものというより、おそらくはこの社会が長らく抱えてきた問題である

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    xijiao
    xijiao 2012/10/30
    "「先生のゼミではどのような人材を輩出したいと思っていますか?」あるいは「先生のゼミを出ることで、自分はどのような人材になれるでしょうか?」"/そんなこと聞く学生もいるのか。びっくり。
  • 『はるまき日記―偏愛的育児エッセイ』瀧波ユカリ(文藝春秋 ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 『東南アジア占領と日本人-帝国・日本の解体』中野聡(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 書は、「南方徴用」された作家・文化人の徴用令書を受け取った戸惑いの様子からはじまる。「大東亜戦争」では、「多くの民間人が国家総動員法・国民徴用令により徴用され、陸海軍に勤務した。軍属とも言う。通常その任期は一年であった」。これらの民間人の体験にもとづいた「語り・回想narrative」は、おびただしい数にのぼった。「書では、日の南方=東南アジア占領が、戦後の日と日人に向けて開かれた歴史経験としてもった意味を、主として東南アジア占領に関わった日人の「語り・回想」を読み解くことを通じて考えていく」。 「書は、日帝国が直面した矛盾と限界を浮き彫りにする視点から」「「大東亜共栄圏」の「虚像」と「実像」という問題」に注目する。著者、中野聡は、さらにつぎのように説明している。「この対比から一般に想像されるのは、互恵・平等を想起させる「共栄」という宣伝文句(虚像)の

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  • 『ドリアン ― 果物の王』塚谷裕一(中公新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ドリアンと〝消える魔球〟」 書の冒頭に、「ドリアンという言葉を聞くと、たいがいの日人はにやりとしはじめる」とある。さっそく、ある飲み会の席上「すいません、実はドリアンのことなのですが…」と切り出してみると、あら不思議、みな「にやり」としはじめた。これはすごい。みなドリアンのことを知っている。しかも、ドリアンと聞くと、思わず口元にゆがんだ笑みを浮かべずにはおられないようなのだ。 たしかにドリアンは人騒がせな果物である。とにかく臭い。書目次のトップにはわざわざ「1-1ドリアンは臭くない」というセクションがあって、これだけでもすごくあやしいのに、「1-2」は「ドリアンが臭いと感じる人もいる」、そして「1-3香りの感じ方」、さらに「1-4ドリアンの香りをめぐる論争」とあり、これをながめているだけで鼻がむずむずしてくる。 実はドリアンが臭いか臭いないかはほんとうのところ

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    xijiao 2012/08/03
    陳果の『ドリアンドリアン』には本当にドリアンを凶器にするシーンがあったな。
  • 『鷗外留学始末』 中井義幸 (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    xijiao
    xijiao 2012/07/30
    "医学校に入学するために進文学舎を退学したのではなく、進文学舎の学費を払いつづけることができなかったので、年齢を二歳偽ってまで医学校の入学を早めたというのが実情だった"
  • 『岡崎京子の仕事集』岡崎京子著 増渕俊之編(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「中高年でも入門できます」 ご多分に洩れず、筆者も『リバーズ・エッジ』を起点に〝岡崎めぐり〟を始めた男性読者の一人である。いや、小学生の頃はそれなりの漫画読みとして鳴らしたつもりだが、中学から入った寮が「漫画禁止」&「見つかったら即没収」という野蛮な環境で、その後の6年間のブランクのために漫画の読み方をすっかり忘れてしまったのである。大人になってから、勧められるままにいくつものタイトルを手にとってみたものの、どれも今ひとつなじめなかった。まさに失われた漫画的青春である。 岡崎京子の作品はそんな漫画音痴にたいへんやさしかった。筆者は漫画のコマをつい読み過ぎる癖があるのだが、うろうろしていても「別にいいよ」と言われている気分になる。コマの流れの拘束がきつくないというのか。その一方で、セリフや展開に毒があってひねりが効いているので、活字偏重になりがちな目でも作品の中に入って

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    xijiao 2012/07/19
  • 『「女子」の時代!』馬場伸彦/池田太臣 編著(青弓社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「女性学」から「女子学」へ」 大学、あるいはその他の教育機関でも同様だと思うが、「男子よりも女子の方が元気がいい」という傾向が顕著である。例えば、成績優秀者をリストアップすると、決まって上位は女子が独占するといった傾向が見られるようになって久しい。 いったい、いつ頃から女子の方が元気がよくなってきたのかと振り返って見た時、評者の経歴を振り返れば、すでにその少年時代からそうした傾向が見られた。 評者は現在、いわゆるアラフォーとアラサ―の中間の年齢だが、同年齢層の女子たちは、いわゆる「アムラー」、あるいは「(コ)ギャル」と呼ばれたように、90年代の消費文化を席巻していたことを思い出す。あるいは、評者には10歳ほど年上の姉がいるが、ほぼアラフォーに位置づく彼女たちは、まさにバブルを謳歌し、就職活動も売り手市場だった。このように評者からしても、すでに元気な女子に囲まれて育っ

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  • 『私が、生きる肌』ティエリー・ジョンケ(ハヤカワ・ミステリ文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

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    xijiao 2012/06/17
    原作ものだったのか
  • 『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』早瀬晋三(人文書院) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 文字通り、小著である。だが、この小著でさえ、すこしこのテーマにかんして知識がある人なら、1冊のになるとは想像だにしなかっただろう。著者であるわたし自身も、すこし調べて、とても無理だと思った。それが可能になったのは、参考文献を訊いてまわるわたしに親切にこたえてくれた東南アジア史研究者はもちろんだが、共同研究「第一次世界大戦の総合的研究」(京都大学人文科学研究所)のメンバーが有形無形に後押ししてくれたからである。 2007年4月からもう5年になる月2回開催される研究会に出席しているうちに、自分の役割と書かなければならないことがだんだんわかってきた。書くことを決意したとき、「5年かけても、まともなものは書けそうにないので、半年で書くことにした」と、メンバーの何人かに告げた。ある人は、「わたしなら、書かない」と言った。わたしも、研究がある程度進んだ分野のテーマであるなら、一

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  • 『世界のかわいい刺繍―世界各地の民芸品、アンティーク、フェアトレード、作家の刺繍』(誠文堂新光社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 下着デザイナー・鴨居羊子の初期の作品(下着会社チュニックの商品)には、鴨居自らが刺繍をほどこしたスリップやショーツがあったという。下書きなしで、薄い布地に直接チクチクと針を刺していったというのは彼女のデッサン力と手先の器用さゆえだろうが、そこには既成の図案そのままにする刺繍へのアンチテーゼも含まれていたようだ。 刺繍といえば、編物とならんで女がするホビー、手芸の一大ジャンル。それらの技法と図案による手芸のは明治のころから山と出されている。女学生のころ、兄にプレゼントされた中原淳一デザインの日記帳にいまひとつぴんとこなかった、つまり女向けのお仕着せには反発心をおぼえずにいられない鴨居にとって、手芸書をたよりにするものづくりに面白味を感じられないのは当然のことだった。何事においても型破りなのが彼女のウリなのであるから。 けれど、これなら鴨居もよろこびそう、と思える刺繍

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  • 『スフィンクスは笑う』 安部ヨリミ (講談社文芸文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 安部公房の母、ヨリミが新婚早々安部公房を妊娠中に書いた小説である。 ヨリミは1899年、旭川のはずれの開拓地東高鷹村に生まれ、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大)に進むが、社会主義団体のビラを校内にはりだしたために放校になる。1923年、24歳の時に同郷の安部浅吉と結婚するが、押しかけ結婚だったという説もあり、相当はねっかえりのお嬢さんだったようである。浅吉は満州医科大学附属病院の医師だったが、たまたま東京の栄養研究所に留学中だった。新婚の二人は府下滝野川区で暮らしていたが、9月に関東大震災にあう。結婚妊娠、地震があいついだ慌ただしい年に書かれたのが書である。 『スフィンクスは笑う』という題名からまず思いつくのはスフィンクスの謎かけである。「朝は四足、昼は二足、夜は三足の生き物はなにか」という例のあれである。 答えは人間ということになるが、書にも三つの

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    xijiao 2012/06/04
    "安部公房の母、ヨリミが新婚早々安部公房を妊娠中に書いた小説"
  • 東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ : 『三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし』川上亜紀(思潮社)

    →紀伊國屋書店で購入 「散文って窮屈じゃないですか?」 10年前の「グリーンカルテ」を読んで以来、何となく気になってきた書き手である。「グリーンカルテ」は数年前ついに単行となったが、必ずしも多作な人ではないから、新しい作品が出て「あ、出た」と思った。今回は詩集。その冒頭の表題作二篇「三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし」(*と**)がとてもいい。この2つのためだけでも、手に取る価値のある詩集だ。 現代詩の居場所ということを考える。詩は最古のジャンルで云々とあちこちで言われてきたし、筆者もそれは大事なことだと思うのだが、その一方で詩は「古さ」だけに依然して生き延びているわけでもない。今や詩は日陰のジャンルであることが定着した感があるが、それでも人がときに詩で語る必要を感じるのは、散文の「まともさ」に窮屈な思いをするからではないかと思う。 散文は最低限の身支度を調えた言葉である。もちろん

    東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ : 『三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし』川上亜紀(思潮社)
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    xijiao 2012/05/17
  • 『安部公房の都市』苅部直(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「安部公房は苦手ですか?」 安部公房が苦手、あるいは手に取ったことがないという人にこそ読んでもらいたいだ。よくできた評論というのはたいていそうなのだが、書もこちらに何かを強制するということがない。「まあ、こんな話もあるわけですよ。別に無理して聞かなくてもいいけどね」というだけで、「是非、公房のファンになれ!」とも言われないし、「しっかり読め!」「わかってないな、バカ!」と叱られることもない。小説の粗筋だって適当に聞き流していればいいようだし、むしろ安部公房なんか忘れてほかのことを考えたっていい。それで油断していると、いつの間にか著者の術中にはまっている。 タイトルにあるように書の切り口は「都市」である。「あ、来た」と警戒する人もいるかもしれない。構造だの資だのといったナンカイな用語が頻出して、偉大なる安部公房の像が立派な文明論的台座に載せられるのではないか、と

    『安部公房の都市』苅部直(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    xijiao 2012/03/01