この史料としてはあまり価値のないロシア製レプリカも、海外であれば航空関係イベントでの見世物等で有効活用できるのだから、その方が幸せだろうと思う。史料としては非動態でもエンジン、塗装、計器等の残存が重要
離陸準備する零戦22型3858号機。前を歩くのは石塚政秀氏、尾翼に手を添えるのが柳田一昭氏=2017年6月、茨城・竜ヶ崎飛行場(撮影・梶川浩伸) 第二次世界大戦で日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(零戦、ゼロ戦)は、現在世界中で飛行可能な機体は5機のみ。そのうちの1機は日本人所有で、2017年6月、戦後初めて日本人パイロットの操縦により日本の空を飛んだとして話題になった機体だ。しかし維持費の問題からオーナーが売却を決意せざるを得なくなり、海外に流出することがほぼ確実となった。ただオーナーは国内動態保存の望みも捨てきれず、契約が決まるまでの残された数カ月に「なんとか日本が手を上げてくれないか」と話している。 現在、飛行可能な零戦を所有している唯一の日本人は、ニュージーランド在住で、フライトジャケットなどを製造販売する「THE FEW」を経営する石塚政秀氏(57)。そして石塚氏が所有して
もっか飛行可能な零戦は、世界に5機現存している。それらは一般的に「復元機」と呼ばれることが多いが、正確には「復元機」は1機だけで、他の4機は「新造機」である。 「新造機」飛行には制限も 欧米では第二次大戦機の「復元」(Restoration)と「新造」(Fabrication)を、明確に区別していて、簡単にいえば、原型機を修復したのが「復元機」であり、当時の図面や残骸などをもとに、部材・部品を製作して組み立てたのが「新造機」である。 手前はオリジナル度の高い「復元」零戦52型。奥は日本人が所有する「新造」零戦22型第3号機(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori) 例えばイギリスの航空法では、オリジナル度が高い「復元機」の飛行は認めているが、新たな部材・部品で組み立てた「新造機」は新規の機体と解釈され、飛行には厳しい制限が設けられている。 ロシアで“生まれた”零戦22型
ゼロ戦の売却が記事になっている。サンスポ「日本人所有の唯一の零戦が海外流出へ」がそれだ。 注目すべき点は、模造品であることを指摘する記述である。従来、ゼロ戦里帰りの寄付金事業では「回収したゼロ戦を修理した」といった前提があった。これはサンスポ記事にも痕跡が残っている。「石塚氏が所有している機体は、1943年に三菱で製造された零戦22型第3858号機。」の部分が該当する。 だが、今回の記事ではその説明と矛盾する記述が続いている。「朽ち果てていた」機体を「ロシアでほとんどの部品をリバースエンジニアリング」して「新造」したとされているからだ。 同機はパプアニューギニアのラバウル付近で朽ち果てていたが、1970年代に米国のサンタモニカ航空博物館により回収。その後ロシアでほとんどの部品をリバースエンジニアリングにより、製造当時同様に新造して復元された。 https://www.sanspo.com/
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