Published 2017/03/28 16:01 (JST) Updated 2019/05/14 12:18 (JST) 戦前から戦後の一時期までエネルギーの主役だった石炭は、石油にその地位を取って代わられ、1950年代以降、厳しい合理化の波に洗われた。出炭量日本一だった三池炭鉱の閉山は97年3月30日。閉山20年の今年、5月5日から9日まで大阪市のエル・おおさかで「炭鉱の記憶と関西~三池炭鉱閉山20年展」が開かれる(6月6日から30日まで関西大学博物館で巡回展)。 それにしても関西には炭鉱は存在しなかった。なぜ大阪で炭鉱の記念展なのか。 ▽資料と記憶を未来に残す 企画の中心になったのはエル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)。館長の谷合佳代子さん(58)はこう話す。 「石炭というエネルギーは、関西も含め日本人の生活の根幹を支えた。また関西には、九州の産炭地から仕事を求めて移り住んだ