私には煙草の吸いだめが必要だった。 何故なら、“その人”は煙草を吸わないからだ。むしろ煙草を嫌っている。 その人の書く文章はどれも英知に優れ、書くことが本業ではないのに私なんぞより多くのファンを獲得しているのだが、さりげなく読ませる一文にはときおり舌を巻くような観察力を見せる。ある単行本では、レストランでの連れの男性との会話を再現しつつ、隣のテーブルに座った客が席を立つまでに吸った煙草の本数を数えていた。流石でございます。 だから、その人の前では煙草を吸えない……、だろうな。 もし吸っていいと言われても吸えないわな、やっぱり。年齢もその人のほうが1つ上だし。担当編集者が気を利かせてオーナーが知り合いだというイタリアンレストランの個室をリザーブしてくれて、そこはいわゆるVIPルームのような独立した空間で喫煙は許されるのだけど、やっぱり吸うわけにはいかんわな。 というわけで、私はいったんその店