木場公園の隣に咲く河津桜|春の訪れを感じる 春の陽気を感じながら、カメラを片手にゆったり散歩。 木場公園の隣に咲く“河津桜”は、見頃を過ぎても美しかった。 木場公園の隣に咲く河津桜 多くの観光客が訪れているのは、海外でも桜の開花情報がシェアされているからだろう。 後ろのマンションが日本らしさを引き…
↓これを読んで思ったことをつらつらと書いてみようと思う。 ●その冒涜がいったいナンボのものなのか(サヨナナ) 完全匿名で文句を言われたとき、一番無力感に襲われるのは反論したいときにそいつに直接その言葉を届ける手段がないことだ。匿名でもサイト持っている人であれば、メールアドレスとかコメント欄があればまぁ反論できる。 繊細なクリエイターってのはやっぱり才能のある人の中でもいっぱいいて、そういう人が素人の心ない批評で傷ついてしまい、作品を作ることをやめてしまうみたいなケースは結構ある。それを「繊細すぎる」とか「プロ意識に欠けるんじゃないか」と言うのは正論っぽくはあるが、単純に思いやりが足りない。というより想像力か? あなたが酷評したクリエイターが、酷評しなかったことであなたにとって人生を変えるほどインパクトのある作品を作ってくれるかもしれないのに。要は下らない中傷めいた酷評でクリエイターのやる気
その冒涜がいったいナンボのものなのか 前に菊地成孔さんが、自分のAmazonレビューに酷評を書いた人に対して「売上低下に直結するからやめて欲しい」といったことを強い語調で書かれてたのね。全くその通りだと思うんだけど。 Amazon巡回してて「あ、このCD聴いてみようかな〜」程度に思ったCDのレビューに、どこの馬の骨ともわからん一般人がしたり顔で「駄作。聞く価値なし。○○のパクリ」とかって一刀両断にしてたら、やっぱりそれでも買おうって思わなくなるじゃん。他人のコメントを鵜呑みにする必要なんて全くんないんだけど、情報が少ない上に対象のCDが「聴いてみようかな?」ぐらいの思い入れだったら、他に聴きたいCDいっぱいあるし、別のCDのページへ行ってしまうと思うのよ。みんなそんなことない? コメントって一切気にならない? やっぱりさ、俺ら一般人(お金をもらって評論家として暮らしている人、じゃない人々)
なぁんか挑発的といえば挑発的だし、やさぐれてるといえばやさぐれてるタイトルですが。まぁ別にどう取ってもらっても構わないですけど。そのいなし方がやさぐれてるぞ俺。 ちょいと前に下請けIT産業に未来はあるのか?(全文読むには要登録)、という文章見て、そん時には「あるか無いかの2択なら無い」ということでちょいと意思表示させてもらってたんですけど。よぉ考えたらなんでそうなるのかねぇ、ということでぐるぐると頭回してましたんですが。やっと片鱗が見えたかなぁということで成り行き任せに出してみる。以下勝手な独断に過ぎないかもしれんので、信じる信じないは好きにすれ・・・・あ、それはいつもか。 まぁそれはともかく(←都合悪くなった時の口癖)。 以前から、それこそIT云々以前の製造業やらなんやらの時代から、下請けという概念に対してはずーっと頭に焦げ付いてるキーワード、てのがありまして。 「下請けは生かさず殺さず
こんなにずけずけ書いていて、ペーペーのくせにうるさくて使いづらい奴だと干されたらどうする気なんだろう? と自分で思ったりしましたが。はっきり口にしなくても、使いづらいのはいつものことだから同じか、と開き直り。今度は作り手、漫画家の立場から語る、打ち切り。 当然、嫌ですよ、そんなもの。冗談じゃない。いきなり、無職無収入になるんですよ? 失業保険だってないんだから。 しかも、仕事取るのに物凄く苦労しているわけですよ。オイラなんてずーっと辛酸を舐めてきて、それでようやく取れた連載なわけですよ。またあの苦労をする羽目になるかもと思ったら、地球なんか滅びてしまえばいいのに、という気分ですよ! …と、本心をアピールしたところで(笑)、ちゃんと真面目に。 漫画自体にも今の打ち切りはマイナスに作用しています。前述の通り、「どんどんトライしていいよ!」という姿勢だったら、よっしゃ、一発大勝負してみるか! と
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