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ブックマーク / bansyo.livedoor.biz (2)

  • 万鐘ももと庵「沖縄・アジアの食と音楽」:人材も産物も自前で作った近世琉球

    2011年06月05日 人材も産物も自前で作った近世琉球 沖縄を創る人 第21回 歴史家 上里隆史さん(下) 在野の歴史家、上里隆史さんが語る琉球王国。1300年代から1500年代の古琉球を軸にした前回に続き、今回は、1600年代以降の近世の琉球王国を語ってもらおう。 薩摩の侵攻は1609年だが、その前に国際情勢の大きな変化があった。それは明の海禁政策の後退だ。明の海禁政策は、海外貿易を国の管理下に置いたので、これがきちんと機能している時は、自由な民間貿易はできなかった。 前回述べた1300-1500年代の古琉球時代の国際貿易は、この管理システムの内側で行われた朝貢貿易だった。日や琉球を含む数多くの国が明と朝貢貿易を行った。明は琉球を重用し、数多くの船を与えるなどして優遇した。那覇港のにぎわいも、こうした朝貢貿易がもたらしたものだった。ところがー。 上里さんが言う。 「海禁がゆるみ、民間

  • 万鐘ももと庵「沖縄・アジアの食と音楽」:外交を外注していた古琉球の王国

    2011年05月29日 外交を外注していた古琉球の王国 沖縄を創る人 第20回 歴史家 上里隆史さん(上) 7月から放映予定のNHK「BS時代劇 テンペスト」で時代考証を担当した歴史家、上里隆史さんに会った。琉球王国は意外な素顔を持っている。上里さんは、そんな王国の姿をさまざまな形で一般に伝えてきた。 上里さんは首里の出身。琉球大で琉球史を学んだ後、琉球を含む東アジアの国際関係史研究をさらに深めるため、東大史料編纂所で研究生として学び、さらに早大で修士号を取得した。現在は沖縄に戻り、琉球史コンサルタントとして活躍している。 歴史家と言えば、大学や研究所に所属している人が多いが、上里さんは違う。在野の歴史家、だ。 「大学に所属すると学内行政などに時間がとられて思うように研究できないことがありますし、どうしても機動力が落ちると思いまして。専門的研究と一般向けの普及活動を自由に行き来したかったの

    ya--mada
    ya--mada 2011/05/31
    体制と変化について、続き気になる。
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