「おカネを稼がなければ死ぬ」という恐怖 村社会のコミュニティに束縛されていた人々が「個人の自由」を獲得するために「おカネ」が重要な役割を果たしたという話を前回(『「年収」と「貯金」がなくても“幸せな国”が、じつはもうすぐ「実現」しそうなワケ』)しました。 しかし、まさにそのことによって、各人は自分しかあてにできない社会になったのでした。 「おカネ」を持っていれば他人を動かすことができますが、他者との関わりは「おカネ」を介したものに限定されます。 潜在的には世界中の人々と繋がっているはずのバラバラな「個人」はそれぞれ、他者関係を失うことを恐れながら、なるべく沢山の「お金」を稼ぐように促されているのでした。 資本主義の社会を駆動する原動力は「おカネを稼がなければ(少なくとも社会的な意味では)死ぬ」という恐怖だといえるように思います。 しかし、実際にはそんな無理を強いられなくても、他者関係は成立
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