落語家の三遊亭円楽さん 肺がんで死去、72歳 脳梗塞から8月高座復帰も…がん治療再開した矢先に
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上方落語を代表する落語家でテレビやラジオでも幅広く活躍した笑福亭仁鶴さんが、今月17日、骨髄異形成症候群のため大阪府内の自宅で亡くなりました。 84歳でした。 大阪市出身の笑福亭仁鶴さんは高校を卒業後に上方落語の四天王と称された6代目笑福亭松鶴さんに入門しました。 演芸場で活躍するかたわら、ラジオの深夜番組やテレビのバラエティー番組で全国的に人気を集め、上方落語の顔として一時代を築きました。 関西の落語家などで作る上方落語協会の副会長を務めるなど上方落語の発展に尽力し、平成14年に放送文化賞を受賞しています。 また、「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」のせりふで知られるNHKの長寿番組「バラエティー生活笑百科」で30年以上にわたり司会を務め、お茶の間で親しまれてきましたが、平成29年から出演の見合わせが続いていました。 吉本興業によりますと、仁鶴さんは今月17日、骨髄異形成症候群のため
大きな声と明るいキャラクターで人気を集めた落語家の林家こん平さんが、今月17日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。77歳でした。 林家こん平さんは新潟県生まれで、中学校を卒業したあと、昭和の爆笑王と呼ばれた林家三平さんに入門して落語家になりました。 昭和47年に真打ちに昇進し「幇間腹」や「品川心中」などの古典落語のほか、師匠の三平さん譲りの漫談を得意としました。 また、民放の演芸番組「笑点」では、持ち前の大声でふるさとの民謡「佐渡おけさ」を歌うギャグや明るいキャラクターで人気を集め、およそ40年にわたってレギュラーを務めました。 昭和55年に三平さんが亡くなってからは、林家一門のまとめ役として林家正蔵さんや、たい平さんなど弟子たちの指導に当たりました。 また、卓球好きでも知られ三遊亭小遊三さんとダブルスを組んで大会に出場するなど、日本卓球協会から4段に認定されるほどの腕前でした。 こん平さ
人気演芸番組「笑点」で長く親しまれた落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸(かつら・うたまる、本名・椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、死去した。81歳。 1951年、15歳で五代目古今亭今輔に入門し前座名今児(いまじ)を名乗った。2年半ほど落語界から遠ざかったが、61年兄弟子の桂米丸門下に移り米坊として出直し。64年歌丸と改名し、68年に真打ち昇進した。 66年に始まった日曜夕方放送の「笑点」では、一時降板したが、当初からのレギュラーメンバー。三遊亭小円遊さん(80年死去)や三遊亭楽太郎(現六代目円楽)さんとの掛け合いが、茶の間の人気を呼んだ。2006年には五代目円楽さん(09年死去)に代わって5代目の司会者を16年まで務め、高視聴率番組の安定した人気をけん引した。
林家九蔵襲名差し止め事件 落語家の名前について少々、話題になっている。 三遊亭好楽が、弟子の好の助に自分の前名の「林家九蔵」を継がさせようとして、待ったがかかり、諦めた、という話である。 少しだけテレビでも扱われていた。 みんな芯の部分がわからない、という雰囲気のなか、それぞれの感想を述べるばかりである。落語家もコメントしていたが、まあ、忖度の忖度の、その上の忖度をしないと生き残れない世界だから、そんなに歯切れのいい話が出てくるわけでもない(忖度の忖度の忖度をしていれば、何とか生き残れるという世界でもある)。 テレビで扱われたのは、断ったのが林家正蔵で、水を差されたのが三遊亭好楽という、テレビでよく見る顔だったからだろう。 林家九蔵の名前で襲名できなかった当の本人「三遊亭好の助」については、たぶん、ほとんどの人が知らないのではないか。 そこそこ落語が好き、というレベルでもなかなか見かけない
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