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2010年12月22日のブックマーク (6件)

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 或るバーで語られた、「三島由紀夫」。 - 桂屋孫一のトウキョウ・アート・ダイアリー

    昨日は朝から仕事の追い込み。 残念ながら、先週拝見した来歴の素晴らしい朝鮮物の名品は、出品とは為らなかったが、代わりに某有名アーティスト旧蔵の、クオリティの高い新版画コレクション取れた…初(うぶ)いので良く売れるだろう。 夜はイケメン有力古美術商のT氏と、最近超ハッピーなK君と3人で、猟師と漁師を生業とし、過去に板さんの修行もしていと云う店主の店「M」で、牡丹(猪)・鴨・熊肉の「和ジビエ・ディナー」。 囲炉裏に炭がくべられ、三浦で獲れた新鮮なイシモチの炙りから始まり、牡丹の焼肉、鴨焼き、クレソンサラダ、そしてメインの味噌風味の猪熊鍋迄、全て旨い…久々に「肉、いましたぁ!」と云う感じであった。しかしこの「M」、当に旨過ぎます…Tさん、ご馳走様でした! 満腹のお腹を擦っていると、「面白い店が在るので、軽くもう一杯行こう」とT氏に誘われ、いそいそと3人で「M」を後にし、夜の六木の街へ繰り出

    或るバーで語られた、「三島由紀夫」。 - 桂屋孫一のトウキョウ・アート・ダイアリー
  • 明朝体・考

    【まとめ】 …2008年08月03日 まとめ(2)-最終章 明朝体を中心とした考現学的な話題や問題提起をテーマとして,とりあえず100回ぐらいまでは続けようという「適当な」目標を立ててスタートしたこのブログも,ついに(!)100回を迎えた。当初の予定にしたがって,今回を以って一応の幕を閉じることにしたい。 もとより内容や構成に関してしっかりした計画を立てて臨んだわけではなく,常々疑問に思っていること,その時々に感じたこと,または時事的な話題を書いてきただけである。したがって全体を読み直してみても,何の統一も脈絡もなく,通して読んでいただくと,たぶん,かなり支離滅裂な感じを受けられるかもしれないし,かならずしも重要なことを優先的に記してきたとも言えない。 そういう意味では,まだまだ書きたいこともあるので,また別のブログを立ち上げて論じていきたい。とくに,「これだけは主張しておきたい」と思

  • YouTube人気急上昇

    【ゆっくり解説】とんでもない写真が流出し人生終了か?歌舞伎役者と俳優両方で活躍している彼の裏の顔がヤバすぎる…

    YouTube人気急上昇
  • 浜田知明の山西省での従軍体験(1) - Transnational History

    4ヶ月ちかくブログの更新をしていなかったので、今日も少し前のことになるが書いてみる。 9月のことになるが、ぼくは葉山にある神奈川県立近代美術館へ『浜田知明の世界展 - 版画と彫刻による哀しみとユーモア』を見に行った。 入り口の写真 浜田知明は初年兵として中国の山西省へ従軍し、そのときの戦争体験を銅版画にした<初年兵哀歌シリーズ>(1950〜54年)で知られるアーティストで、今年、92歳になるが、いまも現役で活躍!している。 最も有名なものは1954年製作の、三八式歩兵銃の引鉄に足の親指をかけている、どこか水木しげる風タッチな「初年兵哀歌 歩哨」という作品であろうか。 ヒロ画廊/浜田知明/作品 http://www.hirogallery.com/hamada-works-et-jp.html 初年兵哀歌 歩哨 - 1954 軍隊の内務班で私的制裁が横行したことはよく知られるところであるが、

    浜田知明の山西省での従軍体験(1) - Transnational History
  • 浜田知明の山西省での従軍体験(2) - Transnational History

    副題:浜田知明が銅版に刻んだ三光作戦 『浜田知明の山西省での従軍体験(1) - Transnational History』の続きです。 今日も初年兵として中国の山西省へ従軍した経験(1940年〜1943年)を持つ浜田知明の銅版画を紹介しながら、版に刻まれた日軍が抗日根拠地にたいしておこなった「粛清(しゅくせい)作戦」「燼滅掃蕩(じんめつそうとう)作戦」(中国側では「三光作戦」「三光政策」と呼ばれている)について書いていくことにする。 浜田知明はまだ戦争の記憶が生々しく残っていたであろう1950年代前半という時期にモノクロームの版画を通していくつもの作品を生み出している。 浜田「是が非でも訴えたいものだけを画面に残し、他の一切を切り捨てた。色彩を捨て、油絵具という材料を捨て、そして白黒の銅版を選んだ。ひたすら自分に誠実であろうとすることだけが私の支えであった。戦場と軍隊をモチーフとして若

    浜田知明の山西省での従軍体験(2) - Transnational History