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2012年9月13日のブックマーク (2件)

  • 河北新報 コルネット 社説 原子力規制委/不信だらけの強行突破だ

    原子力の新たな安全対策を担う国の「原子力規制委員会」が、法律の抜け穴をすり抜けるようにして発足することになった。こんな姑息(こそく)な手段でスタートさせては、規制委への信頼は到底得られない。  福島第1原発事故後の原子力行政に気で取り組むつもりなら、国会の同意を得られるよう規制委員長らの人選を考え直すべきだった。仮にこのまま発足させるにしても、次期国会では速やかに同意を得なければならない。  規制委は委員長1人と委員4人の計5人で構成される。その下に事務局の「原子力規制庁」を置き、これからの原子力行政を一手に引き受ける。5人の任命には「国会同意」、つまり採決による賛成が必要だと法律(原子力規制委設置法)で規定されている。  ところが、政府は同意を得ないまま野田佳彦首相の「権限」で任命し、19日に規制委を発足させることを決めた。  原子力の新たな規制組織は、ことし4月に発足するはずだった。

  • 文書新発見、森鴎外が最初の妻と別れた理由 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    明治の文豪・森鴎外(1862~1922年)が最初の登志子について「気性不合、筆硯(文筆活動)の妨げ」と語ったことが記された文書が見つかったと静岡県磐田市が13日、発表した。 登志子の兄が父親に宛てた手紙の下書きとみられる。 登志子の父赤松則良の曽孫で、磐田市在住の乙彦さん(68)が、6月に市に提供した文書類の中から、市内在住の森鴎外記念会会員が見つけた。 鴎外は1889年(明治22年)に結婚したが、翌年10月頃、登志子と生後間もない長男於菟を残して家を出ていた。文書は和紙6枚。登志子の兄範一が、海軍佐世保鎮守府長官だった則良に鴎外夫の近況を報告する内容で、鴎外が範一に語ったとみられる弁明がつづられていた。 「私の気性として、日頃夫婦で遊歩することもなく、談話も好まない。文筆活動の妨げになるので、登志子とよく相談の上、別居した」という趣旨の発言のほか、「小生が若しきげんを取り候はゞあるま

    yajifun
    yajifun 2012/09/13
    子供は全力で可愛がる人だったという印象がある