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<道路レポート>と合同調査に関するyamaigaのブックマーク (14)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 沢渡~中ノ湯

    廃道の中の廃道。 皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。 草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ… ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある! 廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。 ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。 それゆえ、以前執筆させていただいた『廃道をゆく (イカロス・ムック) 』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。 この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。 同書にて一度紹介済みではあるが、とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作

  • 道路レポート 国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編>

    忘れない。 2007年10月8日、午前7時08分。 もうどうにも進むことが出来なくなった我々が、遂に撤退を決心した、あの場面。 傍らには、滝が落ちていた。 “国道”を横断して流れ落ちる、小さな滝。 仰ぎ見る、上れない土斜面。 顔面を伝ったものは、滝の飛沫と前夜から降り出した雨の雫だけではなかった。 二日にわたる挑戦は、唯一の目的を果たせずに終わった。 まさか、我々が二人がかりで挑んでも駄目だなんて…。 そんな傲りをしたたかに打ち据えられた屈服感のなか、上擦った声で放たれた精一杯のことば。 「 くじさん。 このままでは終わらせないぞ…。 」 “ナル水沢の撤退” から1年、 約束に違わず、二人は再び未踏国道へ挑んだ。 ※このレポートは、「道路レポ 国道291号 清水峠(新潟側)」の続きです。 群馬県前橋市と新潟県魚沼市を結ぶ一般国道291号のうち、群馬と新潟の県境にそびえる清水峠の前後約27k

  • 【山さ行がねが】道路レポート 長野県道26号 奈川木祖線 奈川渡ダム~奈川

    【周辺地図(別ウィンドウ)】 このレポートは、「道路レポート 国道158号 水殿ダム~奈川渡ダム」の続編である。 nagajis氏とタッグを組んで梓川筋の隧道・旧道・廃道を手当たり次第に攻略する旅は、その重要な経由地である奈川渡ダムに到達後、少し寄り道をすることにした。 ターゲットは、奈川渡で国道158号より分岐して旧奈川村から木祖村方面へ繋がる県道26号「奈川木祖線」にある、4の隧道たちだ。 水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間にも5の隧道があったが、ダムへのもう一つの接近路である県道26号にある隧道は4。 由来もダム工事に関する路線の付け替えということで前者と共通する。 なお、前回レポートの冒頭でも語ったとおり、私にとってこの一帯は、“トンネルではない「隧道」への目覚め”のエリアである。 特に我が家では、毎回この県道26号から梓川筋へ入っていた憶えがある。17.8年も前だから、当時

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム

    右図は、安曇三ダムと通称される梓川に連なる3つのダムを中心とした、松市安曇地区(旧安曇村)のマップである。 3つのダムは、東京電力が昭和30年代以降に開発したもので、主に発電、次いで農業水利と洪水頂設に用いられている。 最も下流の稲核(いねこき)ダムから水殿ダムをへて奈川渡ダム、そしてその上流端である沢渡まで、水面高低差200mを付けながら、梓川には約15kmも湖が連続していることになる。 ダム有るところに、廃道あり。 このセオリーはこの場所でも生きている。 梓川の流に平行する国道158号はもちろん、奈川渡で南に分かれる県道26号、そして前川渡で分かれる県道84号のいずれにも、当然のように水没を喫した廃道が存在する。 おいおい紹介していくことにもなるだろう。 だが、私にとってこの国道158号の梓川筋は、単に廃道を巡って終わりという、行きずりの場所ではない。 日中の道の中でも、ここの現

  • 【山さ行がねが】道路レポート 割石の高崖みち

    2008/7/4 7:01 《現在地》 このレポートを書いている時点ではまだ最終回を迎えていない長編、廃線レポート「神岡軌道」の探索は、7月3日に始めたが一日で目的を達することが出来ず、日4日へとずれ込んだ。 3日は神岡の市街地(飛騨市神岡町)にある「道の駅かみおか」で夜を明かし、この日は朝から、前日の終了地点である東漆山へとチャリを漕いで向かった。 もちろん、前日から引き続き相棒nagajis氏がいる。 その途中、割石という地名のところで、トンデモナイ風景に遭遇してしまった。 国道41号を神岡市街から富山方向へ向かうと、はじめのうち高原川の左岸を、対岸に神岡鉱山の巨大施設や禿げ山を見ながら進むことになる。 そして、2kmの少し先で「吉ヶ原橋」という大きな橋で右岸に移ったかと思うと、また1km以内に「割石(われいし)橋」で左岸へ戻る。 この辺りが割石地区であるが、国道沿いに集落は無い。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 旧東京府道242号 日原氷川線 (日原5期道) 

    これまで4編の都道204号日原鍾乳洞線の旧道に関するレポートを公開してきた。 そして、“とぼう岩”付近には現在の都道に至るまで、実に7世代もの道が存在していたことを突き止めた。 このうち、私が主な探索の対象としたのは、「3期:江戸道」「4期:大正道」「5期:昭和道」である。 緑:3期「江戸道」 江戸中期に日原の原島家が中心になって、とぼう岩に初めて横断する道が付けられた。 なお、探索の結果最も困難な岩盤に一の隧道を発見しているが、これが江戸道であるかは未だ不明である(レポ) 橙:4期「大正道」 大正4年に改修された道で、氷川から樽沢まで荷車の通行が可能になった。府道242号日原氷川線と呼ばれた。(レポ) 赤:5期「昭和道」 昭和6年に、従来の「大正道」を惣岳吊橋から日原まで延伸し、遂に全線荷車の通行が可能となった。引き続き府道242号と呼ばれた。今回攻略目標! 青:6期「旧都道」 昭和1

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 新潟側 

    おそらく、日でもっとも有名な廃道の一つである。 多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。 清水国道 と。 清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。 それよりも、先に現状から説明したい。 清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。 この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。 これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。 そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。 だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、 ここ何年、或いは何十年の間、誰

  • 【山さ行がねが】道路レポート 第三次 日原古道探索計画 江戸道編

    中世に秩父地方から進入し、この日原の地を拓いた原島家。 彼とその眷属の子孫が連綿と利用し続けた外界との連路、それが「日原みち」の始まりであった。 はじめ、外界側からこの道へ人が踏み込むことは稀であったが、やがて日原の奥地に一石山(日原鍾乳洞)なる信仰の地が現れ、近世には「日原みち」の改良が行われた。 右の図は、『日原風土記』や『新編武蔵風土記稿』などを元にして作成した、歴代の「日原みち」の概要である。 風土記における道の分類(第1期~5期)に、現道の直接の元となった道を6期として加えている。 このなかで、最も各代の道が輻輳しているのは「とぼう岩」の近辺であり、最も険しい河崖部分を大きく山上に迂回してきた第1期2期の道に対し、初めて谷中に道を開いたと考えられる第3期道は、その後の日原みちの方向性を決定づけたと言える。 この第三期道のとぼう岩開削については、風土記にはこう書かれてある。 第三期

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-88>2007年度 山行がレポート大賞第1位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回

    私にとって、格的な廃道デビューの地「仙岩峠」。 秋田岩手両県にとって最も重要な交通路であるこの峠の一帯には、戦国時代よりも昔から道が存在していた。 だが、秋田県仙北郡と岩手県岩手郡の頭文字を取って名付けられたのは明治8年のことで、それまでは国見峠と呼ばれていた。 我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。 それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。 また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。 私がこの仙岩峠“明治道”に着目したの

  • 【山さ行がねが】道路レポート 第二次 日原古道探索計画 

    あの日、私は勝者ではなかったのか? 「都内最狂廃道」などと喧伝されてきた都道204号日原鍾乳洞線の旧道を危なげなく踏破した私は、有頂天だった。 旧道の終点で「あの道」を見るまでは。 私は急遽計画を変更し、「あの道」へ行くため対岸の作業道に入った。 決定的に時間が足りなかった。 それでも私は荒れ果てた作業道をチャリで疾駆し、巨大な吊り橋の残骸が残る廃鉱山へ行った。 そのまま、「あの道」目指し、危険きわまりない斜面にも進み出た。 全てが命がけだった。 しかし、孤軍奮闘もそこまでだった… (写真右) 結局私は日原古道の核心部。「あの道」へ辿り着くことは出来ず、迫り来る夕暮れに追い立てられるように撤退した。 再訪ではなく、再攻略を誓って。 …以上が私と日原のファーストコンタクトの要約である。レポートはこちら。 撤退の翌日、私は近くの図書館へ行き日原や奥多摩町に関する郷土資料を読みあさった。 その成

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-79>2007年度 山行がレポート大賞第2位
  • ORJレポート 国道45号線旧道 槇木沢橋 前編

    現在の槇木沢橋の隣には、さらに高くさらに長いうり二つの橋、新槇木沢橋(仮称)が現在急ピッチに建設されている。 三陸地方の大動脈、国道45号線。 仙台市青葉区を起点に青森市までの525kmあまりの、山あり谷ありの長い長い道のりである。 しかし、現在でも十分に長いこの国道は、昭和40年代に一時改良を完了する以前には、さらに200km以上も長かった。 一時改良によるこの極端な距離の短縮は、三陸地方の名物であるリアス式海岸に突き出した幾つかの半島の基部にトンネルが掘られ、従前は半島の突端まで大きく迂回していた道が大幅に短縮された事が大きいのだが、この一時改良以前には、一級国道に指定されていながらも車が満足に通れない区間も存在していた。 それが、下閉伊郡田野畑村にある槇木沢橋一帯だ。 昭和40年の一時改良によって、高さ105m(当時日一)の槇木沢橋が開通する以前、一度谷底まで降りて同名の木橋を渡り

  • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) 序

    には、まだまだ凄い道がある。 それを、私に思い知らせた道がある。 栃木県一般県道266号「中塩原板室那須線」、 通称 「塩那道路」 オブローダーなら、おそらく誰しもが、一度は聞いた名である。 塩那道路という、愛称とも略称とも取れる道の名前は、そこがただの県道や林道として生を受けた道ではないことを伝えている。 いや、実は塩那道路などという道は、まだこの世には、完全に存在はしていない。 あるのは、将来の塩那道路になるはずだった、パイロット道路と呼ばれる、工事用道路。 そして、辛うじて完成している一部区間である。 塩那道路を一言で言い表すなら、 とにかく凄いところを走る道。 なんと、最高到達高度は海抜1700m。 東北地方には、ここまで高い場所を走る道はない。 塩那道路を擁する栃木県においても、標高でこれを越える道は日光近辺に幾つかあるだけで、稀である。 そして、塩那道路のもう一つの重要なフ

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-53>2005年度 「山さ行がねが」 人気投票第1位
  • 道路レポート

    あなたは、この穴の姿を覚えているだろうか? 忘れもしない、2004年9月22日。 我々、山行が合調隊の3名が、悪天候を押し突入した粒様沢深部の林鉄探索。 延々と濁流を掻き分け、命まで押し流されそうになりつつの遡行。 遭難の恐怖に怯えながら、暗い森で火も起こせぬ野営。 翌9月23日、長い夜が明けると、空は嘘のように晴れ上がっていた。 まもなく我々は、遂にレールの敷かれたるままの軌道跡を発見。 そこは、まさに林鉄探索者垂涎の楽園であった。 さらに上流へと、錆びたレールは何キロも残っていたのだ。 誘われるように、レールを辿り歩く我々だったが、ある地点を境にして、それは途端に消えた。 静かなブナの森の底で、二つの清流が出会い、一つになっていた。 そこで我々は、右の沢を、選んだ。 かつて、狩猟に生きたマタギ衆すら尊んで近づかなかった、山の神の領域。 地形図上には、ただ「様ノ沢」とだけ記された、その峡

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