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トリ氏と合同調査に関するyamaigaのブックマーク (9)

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 七影隧道 

    その存在は、とことん不幸で、不運だった。 関わった人々を終始振り回し続け、時に禍さえもたらした。 まるで、地上に存在を許されぬ、呪われた宿命がそこにあるかのようだった。 戦時中のごく短期間、最果ての津軽半島の山中に存在“しようとした”一の隧道は、まさにそのような存在だった。 その名は、七影隧道。 小泊磯松連絡林道(以下「連絡林道」と略)は津軽森林鉄道網の一部をなすもので、路盤には軌道が敷かれ、木材貨車を連ねたトロッコが運行していた。 おなじみ『全国森林鉄道 JTBキャンブックス』巻末資料によれば、昭和17年竣功、昭和46年廃止とある。 津軽半島の西にぴょんと突き出した小泊半島の基部を峰越で結ぶ、林鉄としては珍しいタイプの路線だ。 そして、標題の七影隧道は、この峠越えの区間に建設された。 しかし、結局供用の日は見なかった。 七影隧道について語る資料はきわめて少ない。 津軽森林鉄道と言えば、

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 仙台市愛宕山の謎の穴

    人工120万を擁し、東北唯一の大都市といわれる仙台。 この都心である仙台駅からわずか1kmという地点に、「謎の穴あり」 という情報が飛び込んできた。 流石に人口綢密の地だけあって、この穴に関する目撃証言をネット上でいくつか拾うことが出来た。 しかしそれらはみな心霊スポットとしての情報ばかりであった。 それら“心霊情報”が語るところによれば、穴の正体は 1.戦時中の高射砲の基地 2.亜炭鉱山 3.藩政時代の抜け穴 4.防空壕   …etc など、多彩である。 また、それら情報の出所を踏まえれば当然とはいえ、一様に目撃者たちは「気持ち悪かった」「なにかいる」などと評しており、おそらくは都市のエアポケット的な地底空間なのだろうと思われた。 ただし、それらの情報は最新のものでも2003年頃までで、都市の中心部という立地を考えれば、現在も口をあけたままに放置されているとは考えにくいのではないか。 し

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 西沢森林軌道 

    まだ私が秋田県に住んでいた2006年の8月。 当時、東京への移住は構想段階に過ぎなかったが、縁あって西沢林鉄の深部を探索している。 今回は、だいぶ前の話になってしまったが、これをレポートしようと思う。 私にとって、東北以外で探索した、最初の森林鉄道である。 山梨・長野・埼玉の3県が山頂で交差する甲武信ヶ岳(標高2475m)と、信玄の隠し金山伝説の残る黒金山(標高2231m)に挟まれた西沢渓谷に沿って、この西沢森林軌道(以下「西沢林鉄」と略)は幅762mm、線延長14.5kmの軌道を有していた。 線の起点側(上部)は薊(あざみ)沢線など2の支線に繋がり、終点(下部)の旧三富村(山梨市)広瀬では三塩森林軌道(以下「三塩林鉄」と略)と接続していた。この三塩林鉄はガソリンカーが運行された高規格なもので、「森林鉄道」といって差し支えのない規模であったが、西沢森林軌道や支線では廃止まで馬力を用い

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡

    私を魅惑して止まない日原の壮絶な山道風景。(過去のレポ1,2) しかし、その景色を彩るものは天然の山河ばかりではなかった。 むしろ、彼の地で最大の存在感を有するもの…それは現役石灰石鉱山による、未曾有の地形改変によるものだった。 この地での石灰石採掘は歴史は意外に短い。 少なくとも明治、大正、そして昭和の頭まで、日原地区に埋蔵される6億トン以上といわれる石灰石は眠り続けてきた。 だが、日の近代化と共にコンクリートの需要が爆発的に増え、全山石灰石と言っても過言ではない日原の山々が初めて認知されるに至る。 昭和12年、「奥多摩電気鉄道会社」発足。 同19年、同様の目的で鉄道を開設していた「青梅電気鉄道会社線」の終点御岳から、氷川(現:奥多摩駅)まで延伸が完了。そして開業と同時に国有化となって(→国鉄青梅線)、社名も現社名「奥多摩工業」に改称される。しかし結局、同社は戦前戦中において石灰石の採

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 小泊海岸森林鉄道

    青森県の片翼たる津軽半島を縦横に駆け巡っていた津軽森林鉄道は、北日最大の森林鉄道網である。 明治末から昭和40年代までに及ぶ同線の歴史は、豊富な森林資源を山奧に追い求めての延伸の歴史でもあり、末期には半島北端の竜飛(たっぴ)岬のすぐ南沢筋まで伸びていた。 県都である青森と津軽半島の北端とが、762mm幅という狭いレールで延々と結ばれていたのは驚きでさえある。現在車でも3時間近く掛かる距離だ。 この、津軽森林鉄道の路線網としてはもっとも北端に位置したのが、今回紹介する小泊海岸林道(以下、当レポートでは正式名である“林道”で呼称するが、内容は森林鉄道である)と、その末端の支線・片刈石沢林道である。 そして、この小泊海岸林道はおそらく全国でもただ一だけの「海岸林鉄」である。 来林鉄は、人手だけで木を運び出せないような山奧へ線路を延ばすものと相場が決まっているが、失礼ながら辺境のこの地におい

  • 【山さ行がねが】道路レポート 旧東京府道242号 日原氷川線 (日原5期道) 

    これまで4編の都道204号日原鍾乳洞線の旧道に関するレポートを公開してきた。 そして、“とぼう岩”付近には現在の都道に至るまで、実に7世代もの道が存在していたことを突き止めた。 このうち、私が主な探索の対象としたのは、「3期:江戸道」「4期:大正道」「5期:昭和道」である。 緑:3期「江戸道」 江戸中期に日原の原島家が中心になって、とぼう岩に初めて横断する道が付けられた。 なお、探索の結果最も困難な岩盤に一の隧道を発見しているが、これが江戸道であるかは未だ不明である(レポ) 橙:4期「大正道」 大正4年に改修された道で、氷川から樽沢まで荷車の通行が可能になった。府道242号日原氷川線と呼ばれた。(レポ) 赤:5期「昭和道」 昭和6年に、従来の「大正道」を惣岳吊橋から日原まで延伸し、遂に全線荷車の通行が可能となった。引き続き府道242号と呼ばれた。今回攻略目標! 青:6期「旧都道」 昭和1

  • 【山さ行がねが】道路レポート 第三次 日原古道探索計画 江戸道編

    中世に秩父地方から進入し、この日原の地を拓いた原島家。 彼とその眷属の子孫が連綿と利用し続けた外界との連路、それが「日原みち」の始まりであった。 はじめ、外界側からこの道へ人が踏み込むことは稀であったが、やがて日原の奥地に一石山(日原鍾乳洞)なる信仰の地が現れ、近世には「日原みち」の改良が行われた。 右の図は、『日原風土記』や『新編武蔵風土記稿』などを元にして作成した、歴代の「日原みち」の概要である。 風土記における道の分類(第1期~5期)に、現道の直接の元となった道を6期として加えている。 このなかで、最も各代の道が輻輳しているのは「とぼう岩」の近辺であり、最も険しい河崖部分を大きく山上に迂回してきた第1期2期の道に対し、初めて谷中に道を開いたと考えられる第3期道は、その後の日原みちの方向性を決定づけたと言える。 この第三期道のとぼう岩開削については、風土記にはこう書かれてある。 第三期

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-88>2007年度 山行がレポート大賞第1位
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回

    私にとって、格的な廃道デビューの地「仙岩峠」。 秋田岩手両県にとって最も重要な交通路であるこの峠の一帯には、戦国時代よりも昔から道が存在していた。 だが、秋田県仙北郡と岩手県岩手郡の頭文字を取って名付けられたのは明治8年のことで、それまでは国見峠と呼ばれていた。 我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。 それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。 また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。 私がこの仙岩峠“明治道”に着目したの

  • 【山さ行がねが】道路レポート 第二次 日原古道探索計画 

    あの日、私は勝者ではなかったのか? 「都内最狂廃道」などと喧伝されてきた都道204号日原鍾乳洞線の旧道を危なげなく踏破した私は、有頂天だった。 旧道の終点で「あの道」を見るまでは。 私は急遽計画を変更し、「あの道」へ行くため対岸の作業道に入った。 決定的に時間が足りなかった。 それでも私は荒れ果てた作業道をチャリで疾駆し、巨大な吊り橋の残骸が残る廃鉱山へ行った。 そのまま、「あの道」目指し、危険きわまりない斜面にも進み出た。 全てが命がけだった。 しかし、孤軍奮闘もそこまでだった… (写真右) 結局私は日原古道の核心部。「あの道」へ辿り着くことは出来ず、迫り来る夕暮れに追い立てられるように撤退した。 再訪ではなく、再攻略を誓って。 …以上が私と日原のファーストコンタクトの要約である。レポートはこちら。 撤退の翌日、私は近くの図書館へ行き日原や奥多摩町に関する郷土資料を読みあさった。 その成

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/29
    <道路レポ-79>2007年度 山行がレポート大賞第2位
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