というわけで昨日は KY 症候群についての同時代の賢者たちの知見をご紹介したわけだけれど、読むにつけ、これはなかなか哲学的な拡がりをもった主題であるということが私にもわかってきた。 鈴木晶先生が書かれている中で私がいちばん興味深かったのは次の箇所である。 どちらのゲームも、「ゲームの範囲」がどこまでかをめぐるトリックなのである。初心者は必死に規則を見つけ出そうとする。だが「正解」は、その規則が適用される範囲、つまりゲームの範囲の外にある。 この種のゲームは無数に存在する。 けれどもこのようなゲームが好まれる集団には共通性がある。 一定期間メンバーが固定されており、そのメンバーたちに斉一的なふるまいが強要されるような集団だということである。 例えば学校。 学校はメンバーが固定されており、ふるまいに斉一性がある。 そのせいで、学校の生徒たちは自分たちの集団に「外部」があるということをふだんは意