http://anond.hatelabo.jp/20170204225930 この手の議論は「勉強はしなければならないものである」という結論ありきのものになりがちで、それが原因で不毛な議論に陥りやすい。 けれど、この結論は絶対のものではない。聖書の教えによれば、勉強は必ずしもすべきものではないし、その内容によってはかえって有害としているようにも読める。 その理由はいくつか考えられる(聖書には明示されていない)が、①勉強した人はしていない人をどうしても見下してしまうことが多く、これは愛の理念に反するからとか、②社会的成功のためには勉強が必要である(学歴・スキル)が、キリスト教では社会的成功や高収入であることが必ずしも正義ではないからとか、説明される。 これらの理由からすると、人生の慰めとなったり、信仰に資するような勉強以外は大して意味がないということになるだろう。 ちなみに数学者のパスカル
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