奈良県生駒市北部は、1980年代後半から学研都市として学術研究施設の建設や宅地開発が盛んな地域で、近年は近鉄けいはんな線の延伸で交通アクセスの利便性が大幅に上昇したことから、都会の高い利便性と自然豊かな田舎の暮らしを両立できる「トカイナカ」として注目されているエリアです。 1957(昭和32)年に生駒町(現生駒市)へ編入されるまでは北倭村だった地域で、江戸時代までは現在生駒市中心街のある生駒町地域が平群郡だったのに対して、富雄川沿いの生駒市北部は奈良市西部や大和郡山市と同じ添下郡に属し、同じ生駒市でも全く異なる歴史定背景や地域性を持っています。 この生駒市北部に、北和の有力国人・鷹山氏が築いた中世城郭・高山城があります。 鷹山氏は生駒市北部を中心に勢力を伸ばした国人領主で、河内、山城との国境地帯に領地を有した関係から、他の大和国人とは一線を画す活動を見せ、近年畿内の戦国史研究が盛んになる中
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