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東浩紀に関するyanozのブックマーク (16)

  • 東浩紀さんが明確に統一教会を擁護しちゃってる件につきまして|菅野完

    東浩紀さんがnoteに掲出した「東浩紀が統一教会を擁護しているというデマにつきまして」なる文章は、タイトルや東さんの意図とは裏腹に、めっちゃ綺麗な「統一教会の擁護」になってしまっているし、あの文章そのものが「なぜ、政治家が、統一教会とつきあってはいけないのか」を立証する材料になってしまっていますよ…というお話です。 まず最初に、簡単にごく手短に、事実の整理だけしておきましょう。 今回、東さんが「東浩紀が統一教会を擁護しているというデマにつきまして」なる文章を掲出するに至ったそもそもの原因は、参院選後に放映(?)された東さんご出演の選挙特別番組の内容が極めて醜悪だった…との指摘がTwitterであったというところにあります。 当該のツイートがこちら みんな興味がないことは知っているのだけど、ニコニコの選挙特番での東さんの統一教会に関する発言があまりにひどくて、東さんをここまで追ってこられた奇

    東浩紀さんが明確に統一教会を擁護しちゃってる件につきまして|菅野完
  • 東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか | 文春オンライン

    ◆ ◆ ◆ インテリが話す言葉を聞いても感心しない ――東さんは、少数のエリートと大多数をわけるのではなく、中間層のサラリーマン出身のような人たちのことを考えなければならないとずっとおっしゃっています。それは東さんご自身の出自とも関係しているんでしょうか。 東 それは大きく関係しています。ぼくは父親も母親も別に大学人ではないし、親戚にもいわゆる知識人はいません。戦後社会の中から出てきたごく普通の職業人ばかりです。左翼もいなかったので学生運動とも縁がなかった。一般的なサラリーマンの家で育ちました。 ――出自と思想は、どこまで関係していると思いますか? 東 ひとによると思いますが、ぼくの場合、出自が関係しているのは、知識や思想というよりも身体的な感覚ではないかと思います。たとえばぼくは「話がわかりやすい」とよく言われますが、その理由はそもそもまわりに学者がいなかったことにある。ぼく自身、インテ

    東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか | 文春オンライン
  • 潰れかけた時に奮起できた「郵便的コミュニケーション」―東浩紀さん『ゲンロン0 観光客の哲学』ブクログ大賞受賞インタビュー後編 | ブクログ通信

    前編と中編に続き、東浩紀さん『ゲンロン0 観光客の哲学』ブクログ大賞受賞記念インタビュー後編です。 中編では『ゲンロン0』が世に出た理由をさまざまにお伺いできました。インタビュー最後を飾る後編では、2010年に合同会社コンテクチュアズを興してから現在の株式会社ゲンロンに至るまで、東浩紀さんの「人生」の変遷をさまざまにお伺いしています。東さんが率直に語ってくれた「中小企業のリアリティ」とは? 取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 大矢靖之 猿橋由佳 「ゲンロン」というプロジェクトは、今、人文書なんて売れないと言われている中で、どうやって新しい活路を見出すかという問いに対する僕の提案 ゲンロン社にて東浩紀さんからさまざまなお話をお伺いしました! あんまりこれ言われないんですが、『ゲンロン0』が今回ブクログ大賞を取ったのは非常に光栄なことだと思っていますし、さまざまに書評が出たこと

    潰れかけた時に奮起できた「郵便的コミュニケーション」―東浩紀さん『ゲンロン0 観光客の哲学』ブクログ大賞受賞インタビュー後編 | ブクログ通信
  • 東浩紀があいちトリエンナーレのアドバイザー辞任へ 「“表現の自由vs検閲とテロ”は偽の問題」

    東さんはTwitterで「津田監督には、この1週間、いろいろ善後策を提案していたのですが採用されず、アドバイザーとして職務を果たすのが困難な状況になりました」と説明。 「今後は、公的な立場を外れ、一個人としてトリエンナーレを応援していければと思います。あらためまして、このたびは、ぼくの力が及ばず、県民のみなさま、出展者のみなさま、申し訳ありませんでした」と改めて謝罪した。 そのうえで、「『表現の自由』vs『検閲とテロ』という構図は、津田さんと大村知事が作り出した偽の問題だと考えています」と指摘。津田さんの責任について以下のように言及した。 「海外のアーティストは表現の自由を訴えている。けれどもそれは日の市民には特定のイデオロギーやプロパガンダに賛同する党派性のように見える。このようなねじれを作り上げた責任は津田さんにあり、彼はそれを早急に解きほぐさねばなりません」 また、文筆家の岡田育さ

    東浩紀があいちトリエンナーレのアドバイザー辞任へ 「“表現の自由vs検閲とテロ”は偽の問題」
  • 棄権してほしいのは“今回の”選挙だけ?――東浩紀の反選挙思想|しんかい37(山川賢一)

    10年前にも「選挙はお祭り」 批評家の東浩紀が、「積極的棄権の声を集める」という署名活動をはじめた。「人々に棄権を薦めるような言動をするなんて、とんでもない!」と批判の声があがるいっぽう、現時点で東のもとには5000人の署名が集まってもいる。 2017年秋の総選挙は民主主義を破壊している。「積極的棄権」の声を集め、民主主義を問い直したい。 東は、自分の意図をこう説明している。今回の選挙は実施するに値しない。そう考えているのは自分だけではないはずだ。よって「積極的棄権」の署名によりその意思表示をすべきである、と。 「今回の選挙、くだらなすぎる」 投票棄権の賛同署名を集める東浩紀さんの真意とは? しかし東の意図が「今回の選挙」を批判することだけにあるなら、たんに安倍首相の衆議院解散への反対署名を集めればよい。なぜ東は「棄権」という言葉にこだわるのか。 じつは東が選挙に否定的な主張をしたのは、今

    棄権してほしいのは“今回の”選挙だけ?――東浩紀の反選挙思想|しんかい37(山川賢一)
  • 浜通り通信27万字で言いたかったこと – ヘキレキ舎

    思想家の東浩紀さんが編集長を務める『ゲンロンβ』という電子批評誌で「浜通り通信」という連載を書き続けてきた。書き始めたのは2014年の5月。まだその当時は電子批評誌というよりメルマガで、タイトルも『福島第一原発観光地化通信』という名前だった。同誌はその後『ゲンロン観光地化メルマガ』(#36で終了)に改名され、さらに『ゲンロン観光通信』(#10で終了)としてリニューアルされ、最終的にはゲンロン誌の電子版『ゲンロンβ』として生まれ変わり、その第14号まで浜通り通信は連載された。最終回は2017年5月である。足掛け3年。 すべての入稿テキストをコピペしてワードに打ち出してみたら全部で27万字あった。うおおお、すげえ、27万字だぜ。良く書いたわ。まあ50回のうち10回は別の著者にお願いをして書いてもらっているので、ぼくの書いたのは40回分ということになるけれど、それにしたって27万字もよく頑張っ

  • 新宿本店 フェア

    第 十 六 講 東 浩 紀 選 ゼ ロ 年 代 の 批 評 の 地 平 ―― ポ ス ト モ ダ ン の 世 界 に 生 き る ▼テーマをクリック! 関連書籍リストにリンクしています。 雑音を断ち切る 若いひとへのアドバイスですよね? それならば、学問はまずものごとを「真剣に受け止める」ことから始まるのだ、と言いたいですね。「受け流す」ことからは始まらない。最近は、BLOGとかがあるので、普段からいろんな意見を浴びて、若いうちから他人の意見を受け流す技が上達しているし、またそういうのが賢いと思われている。社会学は、そういうときとても便利なツールとして使われている。つまり、「俺はお前の意見とは違うよ」と言っても、「ああそれはそういうコミュニケーションなんだね」と、するっと受け流してしまう。でもそういうことを言っていると大成しないので、物事には真剣に取り組むべきです。 つまりを読むときには

    新宿本店 フェア
  • 東 浩紀

    Have read the 3rd chapter of Marc Steinberg and Alex Zahlten's Media Theory in Japan. The chapter is about my old works ("The Media Theory and Media...

    東 浩紀
  • ギャラリーαM企画展100回開催記念シンポジウム20世紀美術と現在 | gallery αM

    2000年10月6日 於:武蔵野公会堂 パープルホール ●パネリスト 東浩紀 林道郎 松浦寿夫 ●司会 高島直之 [高島]…ここ吉祥寺にある、武蔵野美術大学運営の画廊「ギャラリーαM」が88年に開廊し、今年の6月に企画展第100回目を迎えまして、それを記念するシンポジウムを企画させていただきました。「20世紀美術と現在」というタイトルは、問題としては広いというか深いというか多面的だと思うのですが、年、20世紀最後の年であることを鑑みまして、今日、ここにいらっしゃるお三方に論じていただけないかということになりました。 それでは、パネリストを紹介させていただきます。チラシに簡単な略歴が付されておりますので、そちらもご参照いただければと思います。まず東浩紀さんです。2年前に『存在論的、郵便的』というを出され、そのあと、批評的なエッセイ集と言っていいと思いますが、『郵便的不安たち』というを出

    ギャラリーαM企画展100回開催記念シンポジウム20世紀美術と現在 | gallery αM
  • 『存在論的、郵便的』批判 - Skinerrian's blog

    存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1998/10/01メディア: 単行購入: 17人 クリック: 173回この商品を含むブログ (184件) を見る このはゲーデルに不用意に言及していることもあって、ソーカル事件以降に熱を帯びた現代思想叩きにおいて標的になった。しかし、実のところ、ゲーデルに言及している箇所を別にしても、このは言語哲学に関する話題をやや問題のある手つきで扱っていると思われる。 以下では、『存在論的、郵便的』からラッセルとウィトゲンシュタインとクリプキについて論じている箇所を取り上げてコメントしていく。ページ数は『存在論的、郵便的』に対応している。かなり細かい論点もあるが、それでもいくつかの論点には実質的な中身があると思う。 ラッセル 後者[=ラッセル]は1905年の有名な論文において、固有名の確定記述への還元

    『存在論的、郵便的』批判 - Skinerrian's blog
  • ニッポソのポモ - apesnotmonkeysの日記

    てなことを折に触れてブコメしているわけですけど、しかしこれは単なる粘着イヤミではなく事の質に関わる問題なんですね。「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」という主張に気でコミットしているなら、「汚染水漏れがあったとは断言できない」「5千万円のやりとりがあったとは断言できない」「尖閣募金があったとは断言できない」と言えなくてはならないわけです。なぜ言わないのか? そんなことを言えば言論人としての生命が断たれるのがわかっているからです。そして(なぜ南京事件についてのみ「絶対的真実はない」などとことさら言い立てるか、といえば)南京事件についてなら「絶対的真実はない」と言っても言論人としての生命に影響しないと見透かしているからです。つまり「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」云々は当はポストモダニズムなどとは関係がなく、単に歴史修正主義に対する日社会の甘さを反映しているに

    ニッポソのポモ - apesnotmonkeysの日記
  • 「一般意志2.0」とライフログ :Heartlogic

    「一般意志2.0」とライフログ   東浩紀氏の「一般意志2.0」を読んでいます。書は18世紀にルソーが提唱した「一般意志」の概念を現代のITを前提に解釈する、という試みのです。 一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 書に興味を持った理由は2点あり、ひとつは「一般意志2.0」なるものの成立には現代のIT、とりわけインターネットや「集合知」のシステムが重要であるとされるらしく、ネットやソーシャルメディアについて新たな視点を得られるのではないか、という点。もうひとつは、「一般意志2.0」とは新しい民主主義の姿であるらしいという点です。 以前に読んだ「デモクラシー・リフレクション―巻町住民投票の社会学 (参考:原発問題からお仕着せの「民主主義」を超えて--「デモクラシー・リフレクション」書評)」で紹介されていた「熟慮民主主義」の実現は途方もなく遠い道のりだろうと感じられましたが、

  • 『後藤和智さんの新刊!「おまえが若者を語るな!」』

    後藤和智さんの「おまえが若者を語るな!」が発売になります。 前回とはうってかわって、舌鋒鋭く実名批判で行きましたね。 ----- 若者論は何を見誤ってきたのか。私は常に考え続けてきた。見誤るといっても公開されている統計などを参照しないまま、思いこみで少年犯罪や「ニート」について饒舌に語る、ということではない。もちろん、そういった言説を批判する努力は必要であり、私もそうしてきた。 だが、私はその先に行くべきだと思う。 ----- おお。1ページ目から気合入ってる!ついに武器屋が自らも戦闘に。2回に分けてご紹介します。 おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)/後藤 和智 その前に。 今の「潮」で東浩紀氏と鈴木謙介氏がアキバの事件に関して対談をされております。東氏が「経済学じゃないんだ、実存の問題なんだー!!(大意)」と語り、「創」では鈴木謙介が「(事実や統計は大事だけど)

  • 国際シンポジウム 「クール・ジャパノロジーの可能性」2日目:日本的未成熟をめぐって | my lady blue

    東工大学で今日以下のシンポジウムがあったらしい。 国際シンポジウム 「クール・ジャパノロジーの可能性」二日目 「日的未成熟をめぐって」 ●登壇者 東浩紀(批評家) 黒沢清(映画監督) 宮台真司(社会学者) 村上隆(現代美術家) キース・ヴィンセント(比較文学者) なんと豪華な登壇者。 聴講者たちがtwitterで実況中継を沢山していて、どのような話がされていたのか知ることが出来た(′∀`)スゴイー まず、日は未成熟であるらしい。 未成熟≒かわいい かわいいはコクーンに入ったままアクティブにふるまうためのツール ↓ 未成熟なまま性的になる事が可能 ↓ 性経験が「成熟」を意味しないものに ↓ 性経験の記号化 宮崎駿は社会へのコミットメントは興味ない。描きたいモチーフしか描かない →確かに。その非現実性に癒されるのも事実だけれど。 一方、私の好きな村上春樹の作品には社会へのコミットメン

    国際シンポジウム 「クール・ジャパノロジーの可能性」2日目:日本的未成熟をめぐって | my lady blue
  • クォンタム・ファミリーズ 年表 - superficialchildren

    QF クォンタム・ファミリーズ 年表です。 まず、すいません。ネタバレの配慮を全くしていません。 最初は自分のメモ用に書いていたのですが、書いているうちに分からない事がでてきてしまい、さらにそれを整理し、書き直しているうちにはまってしまい、結果、結構気で書いてみました。表にしてみると貫世界通信という単純な方法で非常に複雑な世界が生まれている事が分かります。まだ分からない部分もあるので、ご指摘して頂けると嬉しいです。よろしくお願いします!

    クォンタム・ファミリーズ 年表 - superficialchildren
  • 東浩紀「小松左京と未来の問題1」(1/4)|Science Fiction|Webミステリーズ!

    〈ミステリーズ!〉に連載中の、東浩紀氏の「セカイから、もっと近くに!――SF/文学論」最終章として、vol.38(2009年12月号)より開始された小松左京論を、ウェブ上に転載いたしました。なお、このページ上で太字となっている箇所は、紙の誌面上での傍点を示します。(編集部) 宇野常寛によるセカイ系批判への応答に始まり、新井素子、法月綸太郎、押井守と三人の作家について論じてきたこの評論も、ついに最後の作家を迎えた。ここで取り組みたいのは、日SFを代表する巨人、小松左京である。 小松についてセカイ系の観点から語る。この枠組みが奇妙なものに見えることは理解している。というのも彼の小説は一般には、セカイ系の想像力と対照的なものだと見なされているからである。そしてそれはそれで正しい。 小松は社会派SFを多数書いたことで知られる。他方でいままで見てきたとおり、セカイ系の特徴は社会の審級が壊れて

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