L'Université de Paris Ouest-Nanterre La Défense 2011年4月 査読有り
作品解釈における意図の話は、定期的に浮上するので、みんな好きなんだなぁと実感する。最近もろもろを読んで整理できたことをいくつかまとめておこう。なかなか進展の見えない話題だが、なんらかの役には立つだろう。 村山さんの紹介しているMatraversの議論はかなり腑に落ちるものなのだが、補助線として以下の話をしておくとなおよしかもしれない。すなわち、意図論争においては、大きくふたつの(結びついてはいるが)異質な問いが与えられている。 存在論的問い:作品の正しい意味は、作者の意図によって決まるのか。認識論的問い:正しい解釈が参照すべき証拠はなにか。しばしば想定され、ボコボコにされる類の意図主義とは、前者の問いに対し「作者の意図だけで決まる」と答え、後者の問いに対し「作者の発言、日記、インタビューなどを片っ端から調査すべし」と答える。それじゃあ、もう批評じゃなくて伝記じゃん、というので反意図主義者た
▶︎ 都築響一+「下町レトロに首っ丈の会」キュレーションによる「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」が、東京都渋谷公園通りギャラリーにて1月22日~4月10日に開催されている。「おかんがつくるアート」のことと本展が定義する「おかんアート」とはなんなのか、その歴史的文脈をふまえて解説。視覚文化論、美術制度史、ジェンダー論を専門とし、手芸とアートの関係をジェンダーの視点から研究してきた山崎明子(奈良女子大学教授)が論じる。【Tokyo Art Beat】 「おかんアート」の前で思考する「おかんアート」というものが以前から気になっていた。一目見て自分の身近にあったもので、懐かしいと感じる作品が多い。私自身、子供時代にこれらを母と作った記憶がある。小学生でも作れるもので、こうしたモノを作りながら縫う・編む・結ぶなど手芸の基本的技術を知らずに学んだのだと思う。東京都渋谷
Laetz, Brian (2010). Kendall Walton's 'Categories of Art': A Critical Commentary. British Journal of Aesthetics 50 (3):287-306. 久々にケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」を読み直し、「あれ、こんな立場だっけ」と気になる点があったので、森さんも紹介されていたBrian Laetzのコメンタリー論文をあたった*1。結果、どんぴしゃの解説があり、前評判通りかなりよいコメンタリーだったので、まとめておく。森さんのエントリーは以下。 気になっていたのは、形式主義vs文脈主義から見たウォルトンの位置付け。最近ビアズリーを読んでいたので、彼との対比においてウォルトンはごりごりの文脈主義者かと思っていたが、読み直してみると意外とユニークな立場ではないかと思われた。Laetz論
人間生活文化研究 Int J Hum Cult Stud. No. 31 2021 [査読有り] われわれ凡人は批評文をどのように読むべきか 365 われわれ凡人は批評文をどのように読むべきか ―理想的観賞者と美的価値をめぐる近年の論争から考える― How should we ordinary people read art criticism? ―Some consequences of the recent controversies on ideal critics and aesthetic value― 森 功次 大妻女子大学国際センター Norihide Mori International Center, Otsuma Women’s University 12 Sanban-cho, Chiyoda-ku, Tokyo, 102-8357 Japan キーワード:美的価値,
Special Lecture Report 沢山遼 「人新世におけるアート」は可能か?: ニコラ・ブリオー、あるいはグレアム・ハーマンの「無関係性の美学」 ──特別講演会「グローバル時代の芸術文化概論:21世紀の関係性のランドスケープ:人間的そして非人間的領域の狭間におけるアート」を聴いて 東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻主催特別講演会 2018年1月8日開催 会場=東京藝術大学 上野キャンパス 美術学部 中央棟 第一講義室 2018年1月8日、東京・上野の東京藝術大学にて、フランス人キュレーター/批評家のニコラ・ブリオー氏(以下敬称略)の講義が行われた。本稿はその講義のレポートである。当日、約200人近くを収容する教室は多くの聴講者で溢れ、講義を中継する第二会場として設けられた教室からも人が溢れるほどの人気だった。知られるようにブリオーは『関係性の美学』(19
インタビュー:星野太 聞き手:池田剛介 昨今の政治・社会状況の変化を受けてか、これまでのものとは視点を異にする言説が登場してきている。反知性主義がはびこり、「ポストトゥルース」などという新語が造られる時代には、どのような思考や態度が必要とされるのだろうか。現代の芸術や言説空間に新たな風を運ぶ書き手に話を聞くインタビューシリーズ。初回には、カント以来の「美学的崇高」ではない、もうひとつの「崇高」についての刺激的な書物を上梓した哲学者・美学者を迎えた。 池田 マルセル・デュシャンの《泉》が1917年の作品なので、今年はちょうどその100年後にあたります。周知のようにこれは、男性用便器に署名を書きつけて展示するというもので、20世紀美術に最も影響を与えた作品のひとつと言えるかと思います。いま世界各地で展開されている現代美術も、おおよそその延長線上にあると言えるでしょうが、ここから決定的に新しいも
いまや美学・哲学研究者たちの間では、目を通しておかなければお話にならない雑誌とも言われる『フィルカル』。 その最新号にウィムザット&ビアズリーの「意図の誤謬(The Intentional Fallacy)」の翻訳が載っております(河合大介訳)。 ※amazonなどでは買えません。入荷している一部書店か下記のホームページから入手しましょう。 Vol. 2, No. 1が刊行されます。 | フィルカル 【追記】Amazonでも買えるようになりました。 美学業界のみならず、文学研究や批評業界においても超重要文献となっているこの論文ですが、難解なので皆敬して遠ざけていたのか、これまで翻訳が出ておりませんでした。 このたびようやく訳されたことは、非常にめでたいことです。衷心よりお慶び申し上げます。 河合大介さん超偉い。 みんな感謝しよう。 「意図の誤謬」って作品解釈に著者の意図つかうなって言ってる
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