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ブックマーク / realkyoto.jp (6)

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 疫病の年の手紙 浅田 彰

    グローバル化の行き着く先で、温暖化に代表される地球環境問題もいよいよ発火点に来ている、エボラ出血熱やトリ・インフルエンザ H5N1 などによるパンデミックの可能性も考慮しておかねばならない…。 頭ではわかっていたつもりだったし、折りにふれて話もしてきましたが、実際に新型コロナウイルス SARS-CoV-2 による COVID-19 パンデミックが起こってみると、あらためて身体的に危機を痛感するこの頃です。 2019年12月から後に Covid-19 と呼ばれることになる肺炎の流行が伝えられていた武漢が2020年1月23日に封鎖されたと報じられたとき、パンデミックは不可避だと覚悟しました。遅まきながら(というか、最初、医師たちの警告を封殺しておきながら)中国政府がそこまで危機感をもったほどのエピデミック。しかし、いかに共産党独裁国家とはいえ人口一千万人規模の都市を完全に封鎖することなどできる

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 対談:島袋道浩×浅田 彰 一休さんと現代美術(上)

    構成:浅田 彰+編集部 対談写真:編集部 展示・作品・会場写真提供:島袋道浩 編集協力:斉藤雅子 浅田 今日は昨年、京都造形芸術大学大学院グローバルゼミでも教鞭を執られた島袋道浩さんをお迎えしました。去年の春、島袋さんがここで話をされたとき予告されたように、京都府で「京都:Re-Search」というアーティスト・イン・レジデンスのプログラムをやっていて、その成果が『大京都』と称して発表される。その一環として、去年の夏、京田辺市で島袋さんが応募者の中から選んだ3人のアーティストのレジデンスの成果とともに作品を発表された。まずはそれを振り返るところから始めましょうか。 島袋 そうですね。京都というとどうしても京都市が主役になっちゃうじゃないですか。でも、京都府には、北に天橋立があったり、南に京田辺があったり、そういう地域の魅力をアーティスト・イン・レジデンスによって発見し、アーティストの作品を

  • 中動態から想像力へ ——國分功一郎『中動態の世界』をめぐって REALKYOTO

    池田 今回は哲学者の國分功一郎さんにご登場いただきました。近著『中動態の世界』を起点に、主著の『暇と退屈の倫理学』について、さらに最近は想像力の問題について考えられているとのことなので、こうした関心についても、文化や芸術との関連を見据えながらお聞きできればと思います。 人間の弱さに対する関心 池田 まずは2017年に出版されて話題になった『中動態の世界』ですが、今回読み直してみて、やはりこのが医学書院から出されていて、依存症の問題がひとつの出発点になっているというところに意表をつかれる思いがします。というのもこのでは、古典ギリシア語の文法についての歴史的・哲学的な検討がたいへん緻密に展開されているからです。まずはこの中動態と臨床的関心との接点について伺いたいと思います。 國分 中動態への関心というのは昔からあって、当に自分はポストモダニストだなと思うのですが、近代的主体に対する様々な

  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 「ドクメンタ」は、美術展ではない。

    藤幡正樹 カッセルにドクメンタを観に行った。思った以上に楽しかったので、ここに報告させて貰うことにした。実際、今年のドクメンタは全体的に不評のようで、友人によればドイツ中の新聞や雑誌が軒並みこき下ろしているらしい。「自己正当化の神殿」(Zeit紙)、「要するに、難しく見せるということが重要なのだ」(Der Spiegel誌)、「まごうことなき大失敗」(Die Welt紙)、「今回のドクメンタはとても難しい」(focus誌)、「もしかしたらアートの役割は終わったのか? メディアが伝えるドクメンタ」(HNA)、南ドイツ新聞は「観客に指図するドクメンタ—アーティストもキュレーターも啓蒙せずに単純なメッセージに走り、政治ショーと化している」。今年を「スーパー・アートイヤー」と題して特集を打っているFAZ誌は好意的ではあるが、「今年のドクメンタは何から何まで違う」「ドクメンタではなくモニュメンタ——

  • 「芸術論の新たな転回 01 星野太(1):それでもなお、レトリックを──星野太『崇高の修辞学』をめぐって1」(Interview series by 池田剛介) - REALKYOTO

    インタビュー:星野太 聞き手:池田剛介 昨今の政治・社会状況の変化を受けてか、これまでのものとは視点を異にする言説が登場してきている。反知性主義がはびこり、「ポストトゥルース」などという新語が造られる時代には、どのような思考や態度が必要とされるのだろうか。現代の芸術や言説空間に新たな風を運ぶ書き手に話を聞くインタビューシリーズ。初回には、カント以来の「美学的崇高」ではない、もうひとつの「崇高」についての刺激的な書物を上梓した哲学者・美学者を迎えた。 池田 マルセル・デュシャンの《泉》が1917年の作品なので、今年はちょうどその100年後にあたります。周知のようにこれは、男性用便器に署名を書きつけて展示するというもので、20世紀美術に最も影響を与えた作品のひとつと言えるかと思います。いま世界各地で展開されている現代美術も、おおよそその延長線上にあると言えるでしょうが、ここから決定的に新しいも

  • REALKYOTO 新国立競技場問題をめぐって 浅田彰

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

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