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責任に関するyanozのブックマーク (10)

  • 消えたキーマン──「新プロジェクトX」のスパコン「京」回が批判を受けた理由 富士通とNHKの見解は?

    スーパーコンピューター「京(けい)」を取り上げたNHK「新プロジェクトX~挑戦者たち~」が、ネット上で波紋を広げている。当時、京の開発責任者を務め、その後富士通を離れた人物に番組でほとんど触れられなかったことで、企業の都合が番組に反映されたのではないかという見方だ。一体、何があったのか。 京は、富士通と理化学研究所が開発し、2011年に稼働したスーパーコンピューター。演算性能は約10PFLOPS(ペタフロップス)で、これが1秒間に1京回(10000兆回)の計算にあたることから京と名付けられた。番組では富士通技術者が登場し、当時の状況を語った。 しかし放送後、X上である投稿が注目を集めた──「プロジェクトX見た。京の開発責任者で、その後富士通と道を違えた父が一切出ず、直属の上司や部下で、今も富士通との関わりが深い人たちのみが登場する内容には、家族としては非常に複雑な気持ちである。集合写真で

    消えたキーマン──「新プロジェクトX」のスパコン「京」回が批判を受けた理由 富士通とNHKの見解は?
  • 日本語にはない「責任」に関する「RESPONSIBILITY」と「ACCOUNTABILITY」の違いとは?

    語にはない「責任」に関する「RESPONSIBILITY」と「ACCOUNTABILITY」の違いとは? 日におけるビジネスエクササイズを見ながら、英語の"responsibility" と "accountability"という「責任」に関する言葉について、考えてみた。

    日本語にはない「責任」に関する「RESPONSIBILITY」と「ACCOUNTABILITY」の違いとは?
  • 評論:中森弘樹(2017)『失踪の社会学―親密性と責任をめぐる試論』 - 【講座】社会学院生室(夏)

    気鋭の若手による意欲作、中森弘樹『失踪の社会学』*1を読了した。 書は一つ前の記事にも書いた日社会学会にて、著作の部で受賞した作品である。日社会学会では論文や著作で受賞した方はその年の学会で受賞記念講演をすることになっており、私は都合上、拝聴することは叶わなかったが、タイトルから非常に惹かれるものがあった。そんな話を同じ大学の同学年の友人としていて、立ち寄った書籍部のコーナーに都合よく置かれていたため、手に取った次第である。 書について知らなかった私は、タイトルから「逃れ難い親密な関係性から逃れていく不可解な出来事の、自由と困難について考察するのだろう」と推察して購入した。それほど外れてはいなかったと読了後としては思うが、筆者の考察の密度は予測をはるかに上回るものであり、書を世代が同じ若手が書いた力作として仰ぎ見るものである。 さて、書が事例として扱うのは「失踪」である。書は

    評論:中森弘樹(2017)『失踪の社会学―親密性と責任をめぐる試論』 - 【講座】社会学院生室(夏)
  • 自由や責任についてどう「解釈」するか?(読書メモ:『そうしないことはありえたか?:自由論入門』) - 道徳的動物日記

    そうしないことはありえたか?: 自由論入門 作者:高崎将平 青土社 Amazon 「自由意志は存在するか否か」と言われたら、わたしを含めた多くの人が、「事実」に関する問題だと思うだろう。……つまり、自由意志というものがこの世界には「ある」のか「ない」のか、ということについての話であるような印象を受けるのだ。 また、「決定論についての議論」と言われた場合にも、最初に聞いたときには「世界が決定されているか否か」に関する議論であるように思うはずだ。つまり、(ビッグバンが起こったり神様が作ったりしたとかの理由で)この世界が生じた瞬間からこの世界が終わるまでの全時間の全場所に起こる全ての物理的な現象とか存在とかは確定されており、わたしたちの意識も脳みそとか電気信号とかの物理的なものの所産に過ぎないからいつどこでなにを考えたり計画したりどんな行為をするかまでもが決定されているのか、それともそうではない

    自由や責任についてどう「解釈」するか?(読書メモ:『そうしないことはありえたか?:自由論入門』) - 道徳的動物日記
  • 「運」にどこまで配慮すべきか?(読書メモ:『自由意志対話:自由・責任・報い』) - 道徳的動物日記

    自由意志対話:自由・責任・報い 作者:ダニエル C デネット,グレッグ D カルーゾー 青土社 Amazon 非両立論-楽観的懐疑論者のグレッグ・カルーゾーと両立論者のダニエル・デネットが論争する*1。訳者あとがきでも指摘されているように両者の議論はかなり細かく入り組んでおり、決して入門的なではない(とはいえ、『そうしないことはありえたか?』を読んだおかげもあってか、だいたいのところは理解することができたと思う)。 また、原題は Just Deserts: Debating Free Will(「当然の報い:自由意志について議論する」)であり、自由意志についての形而上学的な議論ではなく Desert(「相応しさ」)についての規範的な議論のほうが主になっている。『そうしないことはありえたか?』を読んだときには「自由意志の話よりも責任の話のほうが主になっているじゃん」と面らったものだが、

    「運」にどこまで配慮すべきか?(読書メモ:『自由意志対話:自由・責任・報い』) - 道徳的動物日記
  • 哲学者の幾人かが自由意志や責任や主体の存在を否定し切らない理由のひとつについて――小坂井敏晶の『責任という虚構』(ちくま学芸文庫、2020年)のひとつの指摘への手短な批判|山口尚

    哲学者の幾人かが自由意志や責任や主体の存在を否定し切らない理由のひとつについて――小坂井敏晶の『責任という虚構』(ちくま学芸文庫、2020年)のひとつの指摘への手短な批判 小坂井敏晶の『責任という虚構』(ちくま学芸文庫、2020年)は、規範の存在を前提した探求姿勢である「規範論」と規範の存在を前提せず純粋の社会現象を記述する態度とを分け、後者の態度のもとで《自由意志や責任や主体という観念は社会的に生み出される虚構だ》と主張する。彼にとってこれは記述的言明である――それゆえ彼は《自由意志や責任や主体はじっさいには存在しない》と考える。この主張に何かしらの真理性が含まれることは否定できない。 ノートは同書の文庫版補考を取り上げる。なぜならそこでは哲学者批判――すなわち《哲学者たちは規範論に囚われておりそのために自由意志や責任や主体の存在を否定し切れない》という哲学者批判――が行なわれるからで

    哲学者の幾人かが自由意志や責任や主体の存在を否定し切らない理由のひとつについて――小坂井敏晶の『責任という虚構』(ちくま学芸文庫、2020年)のひとつの指摘への手短な批判|山口尚
  • 國分功一郎の『中動態の世界』(医学書院、2017年)の核心的アイデア|山口尚

    國分功一郎の『中動態の世界』(医学書院、2017年)は比較的よく知られた哲学書であると思う(いつかの紀伊国屋じんぶん大賞になったはずだ)。このの目標のひとつは言語への反省を通じて「行為」概念を捉え直すことであり、そこでは古代ギリシア語やラテン語をめぐる「考古学的」議論などが展開される。とはいえ――今から述べるように――書のそもそもの動機は相当に実践的である。 このの探究の動機のひとつはプロローグで語られるのだが、そこでは依存症をめぐる次のような対話が紹介されている。 「しっかりとした意志をもって、努力して、『もう二度とクスリはやらないようにする』って思っているとやめられない」 ――そこがとても理解が難しいです。アルコールをやめる、クスリをやめるというのは、やはり自分がそれをやめるってことだから、やめようと思わないとダメなんじゃないですか? 「人がやめたいって気持ちをもつことは大切だ

    國分功一郎の『中動態の世界』(医学書院、2017年)の核心的アイデア|山口尚
  • 「責任」という漢語の来歴 - 恐妻家の献立表blog

    「責任」という漢語の来歴が気になって、カント先生に八つ当たりしていたが、私のようなド素人が手近にあるを読み返した程度ではどうにもなるものではなさそうだ。 幸い、今朝、図書館に行く時間を確保できた。昨日、図書館に返し忘れたがあることが発覚し、腹の中でしめしめと喜びながら、何喰わぬ顔で「僕が返しといてあげよう」と申し出たのである。 図書館に突入するや、参考室でめぼしい辞書・事典をバタバタと開いてはながめる。 以下、自分のためのメモ。 中国での用例 まず、『荘子』天道編の「无為也、則任事者責矣」(無為なれば則ち事に任ずる者、責めあり。)が出典だとする説について。 うっかりしてどの辞書だか忘れたが、ある辞典によると、『荘子』そのものに由来するというより、現在伝えられている『荘子』を編集した三世紀頃の学者・郭象の注釈に由来するらしい。ただし、これまたうっかり書き写してこなかったが、郭象注とし

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    yanoz
    yanoz 2019/08/16
  • 「誰のせいにもしない」文化が、組織の多様化と問題解決を進めていく──熊谷晋一郎×青野慶久 | サイボウズ式

    マネジメント 新しいチームのあり方を探求 就活 就活生必見!サイボウズの疑問 ティール組織 会社の「あたりまえ」が変わる 多様性 100人100通りの個性 ワークスタイル 働き方、生き方、もっと自由に 青野慶久 サイボウズ社長の想いと覚悟 キャリア 人生の「積み上げ方」を見直す 複業 複数の「業」をもつ働き方 人事制度 多様な働き方を支える仕組み マンガ サクッと手軽に読める!

    「誰のせいにもしない」文化が、組織の多様化と問題解決を進めていく──熊谷晋一郎×青野慶久 | サイボウズ式
  • 第1回 「誰でもない」を生きること

    海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察。 誰しも「誰でもない」と言うことで大きな難所を切り抜けた経験があるものだ。 ホメロス『オデュッセイア』第九歌。トロイア戦争凱旋のおり、船が難破して遭難してしまい、なんとか故郷に還らんとするオデュッセウスは、その帰路でキュクロプスたちに囚われる。 キュクロプス、英語読みすればサイクロプス(Cyclops)とは、一つ目の巨大な怪物のことである。オデュッセウス一行は、見張りのキュクロプスを言葉巧みに騙し、酒で酔わせ、ついには丸太でその目を潰す。 肝心なのは怪物退治で用いたオデュッ

    第1回 「誰でもない」を生きること
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