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〔一〕ハル君への手紙 Ⅰ 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 上 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 中 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 下 〔三〕ハル君への手紙 Ⅱ Ver.1.1(09/03):文字化けの修正、表記の統一、誤変換、語の脱落、等の校正 カッコ内に、頁数のみを表記しているのは『大洪水の前に』からの引用頁。MEWのS.は邦訳版での原頁表記。 〔一〕ハル君への手紙 Ⅰ(1) まえおき いま、評判の斎藤幸平の『人新世の「資本論」』をどう思うかという質問ですが、この本は手元にはありますが、流読、拾い読みした程度で、十分には目を通せていません。ただ、彼の前著、或いは主著と言っていいと思いますが、『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』は、それなりに精読しました。 斎藤の名前は、白井聡の『武器としての「資本論」』の書評(「「批判的破壊力」を持った「使える資本論」再び」https://toyo
世界の不平等について論じた『不平等について』や、「エレファント・カーブ」を示して先進国の中間層の没落を示した『大不平等』などの著作で知られる経済学者による資本主義論。 現在の世界を「リベラル能力資本主義」(アメリカ)と「政治的資本主義」(中国)の2つの資本主義の争いと見た上で、その問題点と今後について論じ、さらに「資本主義だけ残った」世界の今後について考察しています。 著者のミラノヴィッチはユーゴスラビア出身なのですが(ベオグラード大学の卒業で、アメリカ国籍を取得)、そのせいもあって社会主義とそこから発展した中国の政治的資本主義の分析は冴えており、「社会主義が資本主義を準備した」という、挑戦的なテーゼを掲げています。 アセモグル&ロビンソンは『国家はなぜ衰退するのか』や『自由の命運』の中で、中国の発展はあくまでも一時的なものであり、民主化や法の支配の確立がなされないかぎり行き詰まると見てい
野原慎司さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。 日本の経済学史研究を全体としてどう評価するか。この問題は、ぜひ議論したいところです。私も大学生のときに、経済学史という学問に魅力を感じました。その魅力とは、個々の専門的な経済学の研究を超えて、社会の「ビジョン」を与えてくれる学問であるようにみえるところです。あるいは生き方の「スタイル(指針)」を示してくれるように見えるところです。個々の経済理論を学ぶことも大切ですが、その背後にある経済思想、あるいはまた、経済思想家たちの生き方から学ぶことは多いと思いました。 本書では、内田義彦、大河内一男、高島善哉、小林昇、水田洋、伊東光晴、以上の六人が取り上げられ、それぞれ学説と社会的評論活動が整理されています。 内田義彦が指摘するように、日本の経済思想は、戦前・戦後を通して、日常から遊離した思想言語にとらわれてきた、というのは、現在も含めてその通りで
以下は、Understanding Society: The Brenner debate revisited の大体訳*1である。 経済史の分野において過去35年間で最も重要な論争の一つがブレナー論争だ。ロバート・ブレナーは Past and Present 誌において、1976年に「前産業化時代のヨーロッパにおける農耕階級構造と経済発展 Agrarian Class Structure and Economic Developmen int Pre-Industrial Europe」という論文を、1982年に「ヨーロッパ資本主義の農耕的起源 The Agrarian Roots of European Capitalism」という論文を発表した。この間及びその後、マイケル・ポスタンやエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリといった著名な経済史家からの内容の濃い返答が発表された*2。ブレナーの
不破哲三は「資本主義」という言葉は「マルクスが命名」したとくり返し書いている。*1 その際不破は『資本論』冒頭の「資本主義的生産様式が支配している…」という和訳を一つの根拠にあげている。 しかし、マルクスが生前の自身の公刊物の中で「資本主義」Kapitalismusという言葉を使ったことは一度もない、というのはパッソウがすでに1918年に指摘しており、それはマルクス主義者の中では有名な話で、不破が知らないはずはない(皮肉ではなく)。 また、不破が根拠としてあげる『資本論』の「資本主義的生産様式」は単に和訳でそうなっているにすぎず、英語でthe capitalist mode of production、ドイツ語でkapitalistische Produktionsweiseであり、capitalistやkapitalistischeは「資本家の」と訳した方がどうみても適当である。つまり「
ナンシー・フレイザー(Nancy Fraser)のインタビュー記事(2016)を翻訳しました。原文はここです。 「ケアの危機」とは現在私たちが直面している構造的な問題です。ケアを代表とする家事や子育て、介護などの「社会的再生産」がどんどん民営化・商品化され、私たちの生活が切り縮められている状況のことをいいます。このインタビューでは、その歴史的背景の説明や様々な大事な論点の解説があります。ケアといえば今は子育てや介護という私たち個人が家庭で日々直面する営みが議論されますが、それにとどまらず、公的な教育費の削減や福祉・医療の民営化なども大きな問題です。もちろんアメリカや欧米だけでなく日本も、というより日本は特に深刻に直面している課題です。 要約すると、近代史は、19世紀の自由資本主義→20世紀半ばからの国家統治型資本主義→現在のネオリベラル資本主義、という3段階に分けられます。それぞれの段階で
タイトルについての説明からしておこう。「社会の二層性」ないしは「二重社会」という視点は、最近、湖中真哉さんが、『牧畜二重経済の研究』[湖中 2006]によって見事によみがえらせた、J・H・ブーケの「二重経済」論の前提となっている「二重社会(dual societies)」という用語を、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準(niveaux d'authenticite)」の議論の帰結を表すのに援用したものである。この講演では、この視点を、グローバル化に直面して絶望的な困難さを抱えながら生きている「小さなもの」たちが、その生をまっとうするための実践を理解するのに必要かつ重要となる視点として、提示したいと思う。そして、副題として付けている「小さなものの敗北の場所から」というのは、思想史家の市村弘正さんの「小さなものの諸形態」というエッセイから取ったものである。
むずかしいぞ。そしてかっこいいぞ。リンク先のアマゾンに行っても「出品者からお求め」いただくしかないのだけれど、ともかくおすすめなのはこの一冊である。小田亮『構造主義のパラドクス─野生の形而上学のために』(勁草書房、1989年)。 手に入りやすさ、とっつきやすさで言えばこれだろうか。小田亮『レヴィ=ストロース入門』(ちくま新書)。そういえばレヴィ=ストロース、もうじき一〇一歳なのだなあ。 ■夜、会社を少し早めに退けてから京王線で南大沢へ。以前一度だけ来たことのあるアウトレットパークのその背後に、首都大学東京の南大沢キャンパスはあるのだった。学祭まであと何日というような看板を横目に、五号館三階の集計作業室というところをめざす。いくつもの研究室が並ぶフロアにある「なるほど、集計作業室か」という案配の部屋だった。廊下にわらわらと学生たちが溢れて準備をしているそのなかに、小田亮先生もいた。大学を卒業
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