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2009年12月18日のブックマーク (6件)

  • L.ラウダン『科学と価値』 - 株式会社 勁草書房

    科学者たちの見解はしばしば対立するにもかかわらず、その不一致が解消され、広い範囲での合意が形成されるのはなぜなのか。自然主義・合理主義・科学的反実在論を緊密に結んだ強固な立場から、不一致と合意形成の一方のみに焦点をあててきた従来のモデルに換えて、新しい枠組みを提案する。戸田山和久による充実した訳者解説も必読。 謝辞 序 第一章 科学に関する二つのパズル──科学哲学と科学社会学における危機についての考察 1 同意説と一致についての難問 2 「ニューウェーブ」による不同意への専心 第二章 科学論争の階層的構造 1 事実に関する同意の形成 2 方法論上の同意形成 第三章 評価の循環を閉じる──認知的価値に関する不一致の解決 1 共変性の誤謬 2 網状モデルと目標評価の方法 3 科学の合理性の網状モデル 第四章 科学の変化についての全体論的描像を解剖する 1 科学の変化の単位に関するクーンの見解

  • バトルトークラジオ・アクセス,12月16日放送

    速水健朗 @gotanda6 .@hidetomitanaka デフレカルチャーの暗部は、やっぱり端的にケータイ小説だし、agehat的煉獄だと思います。僕も議論の立場とは別に、地域コミュニティとかに希望はまったく感じてないっす。 2009-12-17 03:03:45

    バトルトークラジオ・アクセス,12月16日放送
  • 死者を呼び出し、送り返すこと──シンポジウム「21世紀にボイスを召還せよ!」レポート:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    ボイスの先駆者、エリック・ギル では、ヨーゼフ・ボイスの思想と芸術は、今日的な意義を持ち得ない時代遅れのモードにすぎないのだろうか? 私はそうではないと思う。なぜなら、ボイスの運動を支えていた社会的状況がすっかり変わってしまったとしても、そして「だれもが芸術家である」というメッセージが現実的に達成されてしまったように見えたとしても、ボイスが夢見ていたユートピアはけっして実現しているわけではないからだ。ボイスのいう「拡大された芸術概念」とは、私たちが暮らす社会全体を芸術作品としてみなし、それをあるべき未来的な造形へと変革していく社会彫刻の過程に、芸術家としての私たちが参加していく運動性を含んでいた。25年前と比べれば、たしかに私たちはだれもが芸術家のように振る舞い、文化を生産する楽しみを謳歌しているのかもしれないし、その意味では社会彫刻の運動に参加しているのかもしれない。だが、ネグリの入国が

    死者を呼び出し、送り返すこと──シンポジウム「21世紀にボイスを召還せよ!」レポート:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
  • 斎藤環『戦闘美少女の精神分析』

    斎藤環『戦闘美少女の精神分析』 高校のとき、「現代社会」(教科名です)の教師が、「なぜトンカツ屋の看板のブタは、自分がべられるというのに、ニコニコしているのか」という問いを授業中に発した。 「はい。それは、事をする人に、殺されたブタにたいして罪悪感を覚えさせないためです」 という、いま思い出しても転げながら悶えてしまうほど、恥ずかしい回答をしたのは、わたしです。 教師が用意した回答は“トンカツへの欲と来店の歓迎を同時にあらわせるアイコンだから”というものだった。広告の非論理的な構造を教えようとしたのだ。関係ないけど、そーいやー、この教師、やがて「やっぱりヘーゲルと道元をやりたい」とかいって、大学院にもどっていったなあ。 閑話休題。 アニメや漫画にあふれかえる、戦闘する美少女――セーラームーンやナウシカ、ふるくはサファイア王子、いまならガンスリンガーガールというのは、なんなのか。斎藤環

  • ゴーリー

  • 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

    加藤陽子『それでも、日人は「戦争」を選んだ』 指導者層からみた戦争史 刺激的なタイトルので、この前朝日新聞の広告をみたら12万部とあったので、売れているのだろう。大手の新聞でも書評でとりあげてられていた。 高校生を相手に、歴史学者の加藤陽子が近現代の日戦争史を講義するというスタイルで書かれている。 結論からいえば、面白いだった。 ひとことでいえば、「それでも、日人は『戦争』を選んだ」ではなく「それでも、日の指導者層は『戦争』を選んだ」という視点で歴史をみていく、ということである。 このタイトルですぐに思い描くのは太平洋戦争における日米開戦だろう。 なぜ物量差が圧倒的にあるアメリカ戦争を挑むなどという馬鹿げたことを日の指導層は実行に移してしまったのか、日の指導層はアホが勢揃いしていたのか、それとも合理的で知性的なメンバーがそれなりにいたとしても誤謬を積み重ねて修正不可能に