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ブックマーク / realsound.jp (9)

  • 筒井康隆、大江健三郎、村上春樹、阿部和重、小川哲……『百年の孤独』が日本文学に与えた絶大なる影響

    ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(新潮社)の文庫化が、出版界で一つの事件のように騒がれている。これらの名称をブランド、焼酎を意味するものとして記憶する人もいるだろうが、いずれもこの作家と小説に由来するものだ。コロンビアの作家ガルシア=マルケスが1967年に発表した長編小説『百年の孤独』は、1972年に新潮社より鼓直訳で日語版が刊行され、1999年に同じく鼓によって改訳された。2006年には「ガルシア=マルケス全小説」の1冊に組みこまれ、文庫化はその全集版を底としている。同作について「文庫化されたら世界が滅びる」と都市伝説的な冗談がいわれてきたのは、それだけ長く文庫化が望まれてきたということでもある。 『百年の孤独』は、1960年代以降に各国で起きたラテンアメリカ文学ブームの代表的な作品だ。1982年にガルシア=マルケスがノーベル文学賞を受賞し、集英社が1983-1984年に

    筒井康隆、大江健三郎、村上春樹、阿部和重、小川哲……『百年の孤独』が日本文学に与えた絶大なる影響
  • 栗原裕一郎×大谷能生×南波一海が語る、音楽批評の現在地 「内容を薦めるのと、好きだから拡散するというのは違う」

    栗原裕一郎と大谷能生による共著『ニッポンの音楽批評150年100冊』(立東舎)は、明治初年前後から令和初頭までのおよそ150年のあいだに、日において「音楽」がどのように記述され、語られてきたのか、音楽批評の歴史的変遷を辿った一冊だ。 1876年から2025年までを30年ずつに区切り、その「通史」を描きだすとともに、その時代に出版された代表的な「音楽」について解説した書は、インターネットの興隆によって音楽を巡る状況が著しく変化し、批評そのものの是非が問われている昨今にこそ参照したいである。リアルサウンド ブックでは、著者の栗原裕一郎と大谷能生に加え、書で音楽批評の最前線にいると紹介される南波一海を招いた鼎談を行った。(編集部) 『ニッポンの音楽批評150年100冊』(立東舎) 南波:改めて栗原さんと大谷さんが著を著した経緯を教えてください。 栗原:2013年にイベント『ニッポン

    栗原裕一郎×大谷能生×南波一海が語る、音楽批評の現在地 「内容を薦めるのと、好きだから拡散するというのは違う」
  • 九龍ジョーが語る、伝統芸能の“革新性” 「そもそも歌舞伎は、他ジャンルの要素を貪欲に取り入れてきた」

    「革命」と「伝統芸能」。この相反するように思える2つの言葉を軽やかにつなぐ書籍が登場した。 九龍ジョー氏の最新書籍『伝統芸能の革命児たち』(文藝春秋)は、歌舞伎、狂言、落語、講談など様々な日の古典芸能の今を多面的に映し出している。書には、日の伝統を更新しようとする若い担い手の活気ある姿が書かれている。 2020年は、新型コロナウイルスによって、多くの業界が未曾有の危機にさらされ、否応なく変化の波に飲み込まれたが、伝統芸能は何百年もの間数多くの苦難を乗り越え、今も脈々と受け継がれている。伝統芸能はなぜ伝統となり得たのか、その質を九龍氏に聞いた。 YouTubeやサブスクと寄席芸能の相性は良い ――「はじめに」で書かれている「伝統芸能における『革命』とは、すでに『伝統芸能』の四文字に含まれてもいる」という一文が素晴らしいです。これは逆説のように聞こえますが、よく考えてみると正論ですね。

    九龍ジョーが語る、伝統芸能の“革新性” 「そもそも歌舞伎は、他ジャンルの要素を貪欲に取り入れてきた」
  • 福満しげゆきが新たなファンを獲得し続ける理由 妻の描き方に見る、大きな愛情

    1997年のデビュー以来、『モーニング』(講談社)や『漫画アクション』(双葉社)などで作品を連載、『漫画アクション』で掲載していた『うちのってどうでしょう?』で、第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門奨励賞を受賞するなど、20年以上に渡り活躍し続ける福満しげゆき。今年に入り、新たに多くのファンを獲得することになった。 福満のエッセイ漫画を際立たせる「道玄坂」 きっかけはが運営する福満しげゆきのTwitterである。今年2月に始めたばかりのアカウントはフォロワー11万人を越え、著作の増刷も決まった。子供のいじめ対策に関するツイートなどは14万いいねを越えており、その人気の高さが伺える。そのように広く受け入れられる福満作品の魅力はどこにあるのか、また、福満しげゆきを語る上で欠かせない彼のはどのような存在なのか、稿で取り上げてみたい。 もう何年も前の話だが、友人宅に集まって新年会をしてい

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  • ホリプロ・堀義貴氏が語る、芸能プロダクションの視点から見たエンタメ業界の実情「第一には経済的にも生命的にも生き残ること」

    ホリプロ・堀義貴氏が語る、芸能プロダクションの視点から見たエンタメ業界の実情「第一には経済的にも生命的にも生き残ること」 堀義貴氏 コロナ禍における音楽文化の現状、そしてこれからについて考えるリアルサウンドの特集企画『「コロナ以降」のカルチャー 音楽の将来のためにできること』。第3回は堀義貴氏(一般社団法人 日音楽事業者協会会長・株式会社ホリプロ代表取締役社長)へのインタビューを行った。多くのタレントを擁し、音楽以外にも舞台・演劇さまざまな表現方法でエンターテインメントに携わってきた同氏。業界全体が抱えるシビアな現実、その中で生まれた課題を語る中で、エンターテインメントが我々の生活においてどのような役割を果たしてきたのか、その熱い胸の内についても聞くことができた。(5月12日取材/編集部) コンサート以上に難しい演劇・舞台の再開 ーーホリプロには音楽アーティストはもちろん、俳優、声優、お

    ホリプロ・堀義貴氏が語る、芸能プロダクションの視点から見たエンタメ業界の実情「第一には経済的にも生命的にも生き残ること」
  • キズナアイが「ここに居る」ということーーあやふやな実在と、拡張されていく社会

    たとえば、「メディア」という言葉がある。媒介・媒体を指す言葉だ。人は、誰かに何かを伝えて生きていく生き物で、その伝達手段のことも「メディア」と呼ぶ。伝達手段はさまざまにある。テレビや写真、映画、果ては文字や声もメディアであり、極端なことをいえば、人間は自身をメディア化して生きている。誰かに何かを伝えるとき、対象によって言葉遣いを変えたり、笑顔を作ったりしながら、自身に自身の声を当てて生きているともいえるだろう。そしてその点で、実体もバーチャルも変わらないのではないだろうか。 我々もキズナアイも実在しているとするなら、実体もバーチャルも「メディア」の異なる姿に過ぎず、そう意識したとき、かつて「実在」に根ざしていた我々の社会は拡張されてしまう。 キズナアイは我々のような物理的実体こそ持たないが、AIとしての自我を持ち、服を着るようにアバターを纏い、動画を配信している。アバターは仮想空間にしか存

    キズナアイが「ここに居る」ということーーあやふやな実在と、拡張されていく社会
    yanoz
    yanoz 2019/07/20
  • VT-4の登場とレビュー|Real Sound|リアルサウンド テック

    ツマミが見えるように撮影したもの。簡単に解説する。 ・VOLUME:ボリューム。出力される音声の大きさを調整する。 ・MIC SENS:マイク感度。感度を高くすれば小さな声も拾うようになる。(その分環境音も拾う可能性があるので注意) ・PEAK:ピーク。これがしばしば点灯していると入力音声が大きすぎるということ。 ・ROBOT:声のピッチ(音程)が強制的に均一にされ、ロボットのようになる。 ・MEGAPHONE:そのまんま、メガフォンのような声になる。 ・KEY:AUTO PITCHのキーを設定する。例えばこれを「C」にしてAUTO PITCHのツマミを右に回せば、Cキーのスケールに合わせて音程が補正される。 ・MANUAL:押すと現在のスライダーやAUTO PITCHのつまみ設定が反映される。 ・BYPASS:押すとエフェクトが強制的に無効になる。 ・PITCH:声のピッチが変わる。上下

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    yanoz
    yanoz 2018/12/01
  • ラブ・エロ・ピースが叫ぶ、ショウガイシャのリアル「伝えないと正直な思いは出てこない」

    世田谷区三軒茶屋にあるCafé「ゆうじ屋」の店主であり、生まれたときから重度のショウガイを抱えながらも、毎日一人電動車椅子でケーキを売り歩く実方裕二さんは、お邪魔ん裕二という名前でメンバーに重度ショウガイシャ三人を要するアウトサイダーフォークパンクバンド「ラブ・エロ・ピース」というバンド活動をしている。 重度ショウガイシャで車椅子に乗りながら、言語障害のあるボーカルお邪魔ん裕二のシャウトは全身全霊を込めた凄まじいボーカルで、介助者の助けを受けながらではあるが、ライブで観客にメッセージを訴えかける。 そのラブ・エロ・ピースのアルバムが、トータルプロデュースに<less than TV>の代表であるFUCKERこと谷ぐち順を迎え、8月8日に発売されることとなった。 ライブを体験しこの作品を聴くことで、より伝わるものが深く刻まれるバンドであるが、まずはボーカルであるお邪魔ん裕二のインタビューで、

    ラブ・エロ・ピースが叫ぶ、ショウガイシャのリアル「伝えないと正直な思いは出てこない」
  • 初代ゴジラの“呪縛”から逃れた『シン・ゴジラ』 モルモット吉田が評する実写監督としての庵野秀明

    公開3週目を迎えても『シン・ゴジラ』の勢いは依然、衰えを見せない。IMAX、MX4D、通常上映と、毎回環境を変えて観ていたが、この原稿を理由にまた劇場に足を向けてしまった。高圧縮の情報量、現実の反映、オマージュ、トリヴィア、語られないまま終わった謎への解釈など、まるで20年前の『新世紀エヴァンゲリオン』テレビシリーズ放送終了後から翌年の劇場版公開にかけての熱狂が再現されているようだ−−と言っては言いすぎだろうか。いずれにせよ、繰り返し観ることで細部を語る魅力が増す作品であることは間違いあるまい。 マイナスをプラスにさせる庵野秀明のアレンジ ここでは、〈庵野秀明にとってのゴジラ〉から話を始めてみたい。というのも、特撮好きなエヴァの監督というイメージから誤解されがちだが、これまで庵野はウルトラマンほどの熱狂をゴジラには見せていなかったからだ。『シン・ゴジラ』の原点となる第1作の『ゴジラ』(54

    初代ゴジラの“呪縛”から逃れた『シン・ゴジラ』 モルモット吉田が評する実写監督としての庵野秀明
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