タグ

ブックマーク / tacker10.blog65.fc2.com (6)

  • 三行廃棄物最前線から遠く離れて……。

    日記。 最近、屋に行くと酷く辛くなる時がある。 「ああ、僕はいつの間にか最前線から遠く離れてしまったのだな……」と、そう感じるからだ。どういうことか。 今月の二十日をもって二×歳を迎えた(←おめでとう!w)僕は――勿論、年長者には読んだの数は及ばないまでも――それなりにが好きな人間だ、と自負している。まだ字も読めなかった幼い頃、寝る前の読み聞かせを楽しみにしていた僕は、「三つ子の魂、百まで」と云う諺があるように、今もそんなに変わっていないからだ。だから、好きを名乗った時に「こんなも知らんのか、若造め! 出直して来い!」と哂われこそすれ、恐らく天からの罰は当たるまいと思う。それに、単純に考えるなら、このまま行けば読んだの数は伸びて行くだろうし、そうした意味では、僕もいつかは年長者の仲間入り出来たら良いな、とは思う(勿論、その時には決して若者を哂ったりはしないようにしよう――だって

  • 三行廃棄物【告知】『セカンドアフターEX2012』に論考を寄稿しました。

    お久しぶりです。 今回は、2012年11月18日(日)に東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)で開催の第十五回文学フリーマーケットで頒布される『セカンドアフターEX2012』の話題です。ブースはエ‐65で、価格は700円になります。 実は、僕はこれに「亜人間は箱入りの夢を見るか――『ジョジョの奇妙な冒険』が描く歴史、その断片として」という題の論考を寄稿させて頂きました。 この『セカンドアフターEX2012』では、『ジョジョ』の連載25周年を記念すると共に、主催の志津Aさんが創刊からずっと「震災」をテーマにしていたことと併せて「特集:杜王町」を組んでいます(一応、説明しておくと、荒木飛呂彦氏はこの第四部「ダイヤモンドは砕けない」の舞台となった「杜王町」のモデルが自身の出身地である宮城県仙台市の「郊外」であることを公言しており、実際に現在も連載中の『ジョジョリオン』では、冒頭からまさに

  • 三行廃棄物アニメ『氷菓』を満たすもの――または「評価」とは何か

    単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせるのが一番正しい。――坂口安吾『FARCEに就て』 0 京都アニメーションを巨大な一人の作家として見做し、その作品の歴史の変遷を紐解こうとした時、そこに立ち現われてくるのは果たして作中の「空間」を満たすものとは“何か”、という問いではないだろうか。京都アニメーションとは、その“何か”を追求して来た作家として、ある。 神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。 (『旧約聖書 創世記 第一章 第三節』) この余りにも有名な一節は、京都アニメーションだけでなく、そもそも現在までのアニメ(或いはオタク)史において極めて重要な文言だと言ってよい。何故なら新しい“光”の表現方法とは――例えば、出統の表現演出や、新海誠の登場によって端的に示されたデジタル技術の進歩が分かりやすいように――今や私たちにとって非常に基礎的なものとなる程の発明としてこれまで常に

  • 三行廃棄物てらまっとさんの『ツイ天論』を読んでの感想。

    Day:2011.12.10 10:23 Cat:日記 今回の記事は『セカンドアフター』というに寄稿されているてらまっとさんの『ツインテールの天使論』を読んだ僕の感想(と、自分語り)である。 この長い記事自体は読んでくれなくて一向に構わない。 ただ、これだけの長文を書かせるだけの熱量をそこに感じて、興味を持った人がもしもいたならば、下記のページから当該を購入することを検討してみては如何だろうか。 それだけが、今回の僕の願いです。 『セカンドアフター』コミックジンでの委託販売ページ さて。 てらまっとさんによる『ツインテールの天使論』、通称『ツイ天論』はまず「終わりなき日常」の終わりを端緒にたったひとつの私の「終わり」を考えてみよう、と始まる。 彼はモーリス・ブランショ氏の「恋人たちの共同体」を引きつつ私が「終わる」ことが出来るのは看取ってくれるあなたの「愛」があるからだと述べている。

    yaoki_dokidoki
    yaoki_dokidoki 2012/01/04
    おぉ、デザインが変わってるような。pdfに落として読みます。
  • 三行廃棄物 (仮)

    僕は物語に興味がある。  何故ならば、人は物語への介入をなくして生への満足を得られないからである。  それはかつてなら神への信仰であった。  神という特別な存在によって介入されることを信じて、人々は自分の存在を物語内での救済に仮託していたのだ。  しかし、現在ではそのような考え方は機能していないと言えるのも事実である。だが、主体と客体を変えながら、それは今も続いているのではないだろうか。  分かり易いのは小説漫画を読んだり、映画やドラマにアニメなどを観たり、音楽を聴いたりする事だろう。人はそこにしばしの休息を得たり、或いは興奮を覚えたりして、明日への活力とする。  一部の者たちがそれらの作品に対して神作品などという表現を使うことは、先に述べた主体と客体の逆転を分かり易い形で示すことが出来る。  もっと現実的で、個人的な場合でも良い。それは例えば会社で働きお金を稼ぐことだったり、彼女や子ど

    yaoki_dokidoki
    yaoki_dokidoki 2011/11/16
    たっかーさんがボーカロイドについて書いてる
  • 三行廃棄物 【仮】回る平行世界とシンクロするゲームデバイスの進歩。(第1.5回)

    yaoki_dokidoki
    yaoki_dokidoki 2011/09/19
    ゲームデバイスとシュタインズゲート。
  • 1