グローバルで通用するプロダクトやソフトウェアを作りたい。一度は考えたことのあるエンジニアにとって「Ruby」の生みの親、まつもとゆきひろ氏は偉大かつ心強いパパです。 今回は、まつもと氏をお招きし、Rubyが世界に広がるまでのプロセスや日本から世界的なシステムやソフトウェアが生まれづらい理由、グローバルなOSS活動から得られる機会などを語っていただきました。聞き手はファインディの山田が務めます。 「自分の使うツールを良いものにしたい」が最大のモチベーション ——初めに、Rubyを開発するまでのキャリアを教えてください。 筑波大学でコンピュータサイエンスを学び、新卒で受託開発を行う独立系のソフトウェア企業に就職しました。 当時はバブル末期で、就職活動も売り手市場。プログラミング経験のある人のうち、わざわざ知名度の低いソフトウェア会社を選ぶ人は少なかったんです。2000名の社員に対し、新入社員は
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