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勉強と歴史に関するyasu123hのブックマーク (2)

  • 「大分岐」から「大収斂」へ : 池田信夫 blog

    2012年04月22日22:26 カテゴリ経済 「大分岐」から「大収斂」へ Great Divergenceという言葉を最初に使ったのは、書である。西洋が産業革命や資主義などの「正しいコース」をたどったのに対して、中国がなぜ停滞したのかという従来の問いに対して、18世紀まで世界の最先進国だった中国をイギリスが抜く大分岐がなぜ起こったのか、という書の問いは大きな論争を呼んだが、今日では「グローバル・ヒストリー」の一つのマイルストーンとみなされている。 書が示したように、大分岐を生んだのが「資主義」だという通説は疑わしい。18世紀のイギリスでは、資は稀少ではなかったからだ。「産業革命」だというのも、当時の中国の高い技術水準を考えると疑問だ。西洋が中国を追い抜いた最大の要因は、土地と燃料だというのが、書の仮説である。新大陸の発見や植民地の拡大で、西洋の経済成長を制約していた土地が「

    「大分岐」から「大収斂」へ : 池田信夫 blog
  • 中国とヨーロッパはどこで「大分岐」したのか : 池田信夫 blog

    2012年04月05日10:29 カテゴリ 中国とヨーロッパはどこで「大分岐」したのか 従来の経済史では、ヨーロッパのように封建社会が近代社会になるのが典型的な歴史の発展で、中国は専制国家のもとで停滞していたと考えられているが、最近の研究はこうした西洋の自民族中心主義を否定している。18世紀まで市場経済がもっとも発達していたのは中国であり、むしろ後進地域だった西洋が産業革命を実現して中国を逆転する大分岐(great divergence)が起こったのはなぜか、というのが大きなテーマである。 その原因をClarkは出生率に求め、Mokyrは啓蒙思想に求め、Pomeranzは土地(新大陸)と燃料(石炭)の開発に求める。この他にもさまざまな説があり、まだ定説といえるものはないが、書が重視するのは戦争である。世界史の中で近世ヨーロッパの最大の特徴は、それが地域的に分断され、数百年にわたって絶え

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