2012年07月17日00:24 カテゴリ科学/文化 学校は競争の装置である 大西宏氏など何人かの人が批判しているので、内田樹氏のブログ記事を読んでみた。テーマである「いじめ」の話はともかく、例によってペダンティックな飾りとして持ち出す「思想」的な話が間違いだらけだ。彼はこう書く:学校は本来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを本務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子供を守る」ためでした。イエズス会が「親の暴力から子供を守る」ために教育したという根拠はどこにも書かれていないが、歴史的な常識に反する。少なくとも内田氏より信頼に値する哲学者であるミシェル・フーコーはこう書いている:イエズス会修道士学校では、一般的な形態は合戦および敵対の形態であって、労働・知識習得・
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