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2016年1月5日のブックマーク (3件)

  • 『yasudayasu氏との長期停滞論争 / 蝙蝠氏とのクルーグマン解釈論争』

    一般リフレ支持者との対話第二弾として、yasudayasu氏と蝙蝠氏との議論をtogetterにてまとめたので紹介したい。 yasudayasu氏と望月夜の長期停滞論争 ――――――――――――――――――――――――― 追記:2016/1/6 今、yasudayasu氏が新しい回答をたくさん与えてくださって、このtogetterは継続的に更新されている。 yasudayasu氏は、数量的に見て、均衡実質金利が人口影響のみによってマイナスになるのはもっと後だと考えているそうだ。また、2000年代は正の均衡実質金利が見られたのではないかと指摘している。 しかし、ここ10年20年ほどの均衡実質金利は短期的なマイナス影響を受ける(少なくとも受けるリスクがある)ので、有意に正であると予想されるとも考え難いということ、また2000年代は海外バブルもあったこと(yasudayasu氏は海外バブルのない

    『yasudayasu氏との長期停滞論争 / 蝙蝠氏とのクルーグマン解釈論争』
    yasudayasu
    yasudayasu 2016/01/05
    用事で議論から抜けた後、昔も何度か書いたネタだったので食傷して放置してたけど、何か理由もなく言ったため返答できないみたいな書き方されとるな。たとえばhttps://t.co/mGFjisp88MのP135〜
  • クルーグマン「政策はモデルによって律せられるべし」 - himaginary’s diary

    一昨日および昨日のエントリで紹介したクルーグマンとデロングのやり取りでは、FRBが既存のモデルに囚われていたがために利上げに踏み切った、というサマーズの見解が一つのテーマになっていた。これについてデロングは、いや、FRBがクルーグマン(1999)のような既存のモデルを踏襲していたら利上げを急がなかったはずだ、と述べ、クルーグマンもそれに賛意を示した。ただしクルーグマンは、デロング=サマーズ論文で提示された履歴効果は既存のモデルからは外れているだろう、とも指摘し、デロングもそれを認めた(ちなみにクルーグマンはデロングがリンクした1999年の小論の枠組みを、ゼロ金利下限付きのIS-LM[IS-LM with a zero lower bound]と表現している)。 この2人のやり取りに当のサマーズが参戦し、両人は需要サイドのモデルを考えているようだが、自分の念頭にあったのは供給サイドのモデルだ

    クルーグマン「政策はモデルによって律せられるべし」 - himaginary’s diary
    yasudayasu
    yasudayasu 2016/01/05
    2008年以降、政策当局者が基本的なモデルのメッセージを却下ないし無視して、直感を優先させたのを何度も見てきた。そうした直感が経験を反映していたとしても、その経験は全く異なる経済環境におけるものだった。
  • クルーグマン「政策はモデルによって律せられるべし」 - himaginary’s diary

    一昨日および昨日のエントリで紹介したクルーグマンとデロングのやり取りでは、FRBが既存のモデルに囚われていたがために利上げに踏み切った、というサマーズの見解が一つのテーマになっていた。これについてデロングは、いや、FRBがクルーグマン(1999)のような既存のモデルを踏襲していたら利上げを急がなかったはずだ、と述べ、クルーグマンもそれに賛意を示した。ただしクルーグマンは、デロング=サマーズ論文で提示された履歴効果は既存のモデルからは外れているだろう、とも指摘し、デロングもそれを認めた(ちなみにクルーグマンはデロングがリンクした1999年の小論の枠組みを、ゼロ金利下限付きのIS-LM[IS-LM with a zero lower bound]と表現している)。 この2人のやり取りに当のサマーズが参戦し、両人は需要サイドのモデルを考えているようだが、自分の念頭にあったのは供給サイドのモデルだ

    クルーグマン「政策はモデルによって律せられるべし」 - himaginary’s diary
    yasudayasu
    yasudayasu 2016/01/05
    私は「モデルによればそれは間違っている」と言ったのではなく、「モデルを見せてくれ」と言ったのだ。 モデルは神聖なものではないが、モデルを通じて考え抜くという規律は非常に重要なものだ。