昨日エントリではクルーグマンの1998年のモデルの4つの予言を紹介したが、そのうちの財政乗数に関する4番目の予言に対しては、反ケインジアン陣営から以下の3つの反論があったという。 セーの法則を持ち出す 所得は支出されなければならないのだから、公共投資の増加は定義により必ず同量の民間支出をクラウドアウトする、と主張*1。 リカードの等価性は政府支出乗数がゼロであることを意味する、と主張*2 実際には、クルーグマンの最初の論文は完全なリカードの等価性を持つモデルを展開していて、そこから政府支出の短期の増加は乗数1である、という結果を導いていた。 支出削減は公的債務の持続可能性への信認を改善するので実際には拡張的である、というAlesina=Ardagna(2010)の議論 現実の政策に最も大きな影響を与えた。 財政政策の分析は内生性の問題により非常に難しく、Alesina=Ardagnaの分析
昨日エントリではクルーグマンの1998年のモデルの4つの予言を紹介したが、そのうちの財政乗数に関する4番目の予言に対しては、反ケインジアン陣営から以下の3つの反論があったという。 セーの法則を持ち出す 所得は支出されなければならないのだから、公共投資の増加は定義により必ず同量の民間支出をクラウドアウトする、と主張*1。 リカードの等価性は政府支出乗数がゼロであることを意味する、と主張*2 実際には、クルーグマンの最初の論文は完全なリカードの等価性を持つモデルを展開していて、そこから政府支出の短期の増加は乗数1である、という結果を導いていた。 支出削減は公的債務の持続可能性への信認を改善するので実際には拡張的である、というAlesina=Ardagna(2010)の議論 現実の政策に最も大きな影響を与えた。 財政政策の分析は内生性の問題により非常に難しく、Alesina=Ardagnaの分析
昨日エントリではクルーグマンの1998年のモデルの4つの予言を紹介したが、そのうちの財政乗数に関する4番目の予言に対しては、反ケインジアン陣営から以下の3つの反論があったという。 セーの法則を持ち出す 所得は支出されなければならないのだから、公共投資の増加は定義により必ず同量の民間支出をクラウドアウトする、と主張*1。 リカードの等価性は政府支出乗数がゼロであることを意味する、と主張*2 実際には、クルーグマンの最初の論文は完全なリカードの等価性を持つモデルを展開していて、そこから政府支出の短期の増加は乗数1である、という結果を導いていた。 支出削減は公的債務の持続可能性への信認を改善するので実際には拡張的である、というAlesina=Ardagna(2010)の議論 現実の政策に最も大きな影響を与えた。 財政政策の分析は内生性の問題により非常に難しく、Alesina=Ardagnaの分析
昨日エントリではクルーグマンの1998年のモデルの4つの予言を紹介したが、そのうちの財政乗数に関する4番目の予言に対しては、反ケインジアン陣営から以下の3つの反論があったという。 セーの法則を持ち出す 所得は支出されなければならないのだから、公共投資の増加は定義により必ず同量の民間支出をクラウドアウトする、と主張*1。 リカードの等価性は政府支出乗数がゼロであることを意味する、と主張*2 実際には、クルーグマンの最初の論文は完全なリカードの等価性を持つモデルを展開していて、そこから政府支出の短期の増加は乗数1である、という結果を導いていた。 支出削減は公的債務の持続可能性への信認を改善するので実際には拡張的である、というAlesina=Ardagna(2010)の議論 現実の政策に最も大きな影響を与えた。 財政政策の分析は内生性の問題により非常に難しく、Alesina=Ardagnaの分析
昨日エントリではクルーグマンの1998年のモデルの4つの予言を紹介したが、そのうちの財政乗数に関する4番目の予言に対しては、反ケインジアン陣営から以下の3つの反論があったという。 セーの法則を持ち出す 所得は支出されなければならないのだから、公共投資の増加は定義により必ず同量の民間支出をクラウドアウトする、と主張*1。 リカードの等価性は政府支出乗数がゼロであることを意味する、と主張*2 実際には、クルーグマンの最初の論文は完全なリカードの等価性を持つモデルを展開していて、そこから政府支出の短期の増加は乗数1である、という結果を導いていた。 支出削減は公的債務の持続可能性への信認を改善するので実際には拡張的である、というAlesina=Ardagna(2010)の議論 現実の政策に最も大きな影響を与えた。 財政政策の分析は内生性の問題により非常に難しく、Alesina=Ardagnaの分析
昨日紹介したクルーグマンの小論は以下の文から始まっている。 This paper is an exercise in self-indulgence and self-aggrandizement. (拙訳) 本稿は自己満足と自分の研究の誇張の試みである。 そして、これを書いた目的について以下のように述べている。 What I want to ask in this paper is how good the analytical approach of 1998 looks in the light of subsequent experience. Were its basic predictions correct? Where did it fall down? What new issues have arisen? And how does its policy prescri
昨日紹介したクルーグマンの小論は以下の文から始まっている。 This paper is an exercise in self-indulgence and self-aggrandizement. (拙訳) 本稿は自己満足と自分の研究の誇張の試みである。 そして、これを書いた目的について以下のように述べている。 What I want to ask in this paper is how good the analytical approach of 1998 looks in the light of subsequent experience. Were its basic predictions correct? Where did it fall down? What new issues have arisen? And how does its policy prescri
昨日紹介したクルーグマンの小論は以下の文から始まっている。 This paper is an exercise in self-indulgence and self-aggrandizement. (拙訳) 本稿は自己満足と自分の研究の誇張の試みである。 そして、これを書いた目的について以下のように述べている。 What I want to ask in this paper is how good the analytical approach of 1998 looks in the light of subsequent experience. Were its basic predictions correct? Where did it fall down? What new issues have arisen? And how does its policy prescri
昨日紹介したクルーグマンの小論は以下の文から始まっている。 This paper is an exercise in self-indulgence and self-aggrandizement. (拙訳) 本稿は自己満足と自分の研究の誇張の試みである。 そして、これを書いた目的について以下のように述べている。 What I want to ask in this paper is how good the analytical approach of 1998 looks in the light of subsequent experience. Were its basic predictions correct? Where did it fall down? What new issues have arisen? And how does its policy prescri
昨日紹介したクルーグマンの小論は以下の文から始まっている。 This paper is an exercise in self-indulgence and self-aggrandizement. (拙訳) 本稿は自己満足と自分の研究の誇張の試みである。 そして、これを書いた目的について以下のように述べている。 What I want to ask in this paper is how good the analytical approach of 1998 looks in the light of subsequent experience. Were its basic predictions correct? Where did it fall down? What new issues have arisen? And how does its policy prescri
昨日紹介したクルーグマンの小論は以下の文から始まっている。 This paper is an exercise in self-indulgence and self-aggrandizement. (拙訳) 本稿は自己満足と自分の研究の誇張の試みである。 そして、これを書いた目的について以下のように述べている。 What I want to ask in this paper is how good the analytical approach of 1998 looks in the light of subsequent experience. Were its basic predictions correct? Where did it fall down? What new issues have arisen? And how does its policy prescri
という小論をクルーグマンが書いている(H/T デロング1、デロング2)。以下はその中のアベノミクス評。 If the worst economic crisis since the 1930s, one that cumulatively cost advanced nations something on the order of 20 percent of GDP in foregone output, wasn’t enough to provoke a monetary regime change, it’s hard to imagine what will. This in turn might seem to suggest that while monetary policy could in principle offer a solution to the proble
という小論をクルーグマンが書いている(H/T デロング1、デロング2)。以下はその中のアベノミクス評。 If the worst economic crisis since the 1930s, one that cumulatively cost advanced nations something on the order of 20 percent of GDP in foregone output, wasn’t enough to provoke a monetary regime change, it’s hard to imagine what will. This in turn might seem to suggest that while monetary policy could in principle offer a solution to the proble
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