最近一般の人々には「萌え」の象徴としての印象が強い街、秋葉原。駅ビル「アキハバラデパート」の閉店が象徴するように街が大きく様変わりする中、技術立国日本を長きにわたり支え続けてきた「電気街」としてのアキバの姿を探った。 まず戦後、焼け野原になった秋葉原に電気部品を扱う露店が続々と集結し始める。この地が選ばれたのは、戦前より総合問屋として地方とのネットワークを形成していた「廣瀬商会」の存在が大きい。現在の秋葉原駅近くに位置する、当時都電の起点であった万世橋は「安い秋葉原」を目指す地方からの小売・卸売業者でにぎわった。 ほどなく近くに位置する電機工業専門学校(現在の東京電機大学)の学生アルバイトによるラジオの組み立て販売が活況を呈し、この地への電器商の参入をさらに加速。ここに「アキバ電気街」としての基礎が築かれた。その後「三種の神器」による家電ブーム、インターネットの普及によるPCブームを経て街