7世紀後半、白村江の戦い(663年)で、百済遺臣軍とともに唐・新羅連合軍と戦い、大敗北を喫した倭国は、古代最大の内戦・壬申の乱(672年)を経て成立した天武・持統朝において中央集権体制を確立し、「日本」と名乗るようになった。「大王(おおきみ)」を、中国の皇帝に対抗しつつ差異化をはかるために「天皇」と号するようになったのも、この時期と考えられる。 また、『古事記』『日本書紀』を編纂し、「天皇」家による「日本」支配の正当性を、「歴史(および神話)」の形を借りたイデオロギーによって確立しようと図ったのもこの時期だ。外征軍の大敗と大規模な内戦という2つの戦争が、倭国から「日本」への変貌を遂げ、「天皇」制を生み出す契機となったのである。しかし、その時期においてなお、「神道」はまだ確立していなかった、という。 岩上安身は2016年11月22日に『「神道」の虚像と実像』の著者である井上寛司氏に単独インタ