ロシア軍がウクライナに侵攻して、およそ1か月半。 プーチン大統領はいったい、いつになったら戦闘をやめるのか。 侵攻のねらいはなんなのか? 旧ソビエト時代から長年にわたってロシアを取材してきたNHKの石川一洋解説委員に、プーチン大統領の演説や発言を分析してもらいました。 今回の分析からは 1.100年前の恨み? 2.側近の偏り というキーワードが浮かび上がってきました。 (演説全文は記事の後半にあります) 今回、注目した演説は?
10歳だった。 その時ぼくは、まだ「ソビエト連邦」だったモスクワにいた。 そこで見たのは、「国」というものが劇的に変化する瞬間だった―― 外務省が公開した6000ページにのぼる外交文書。外交官たちの生々しい報告が、私をあの時代に連れ戻した。そして私は、何が起きていたのかを初めて実感した。 (政治部・渡辺信) その書き出しは、文学的だった。 『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』 1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書の冒頭だ。書いたのは、モスクワの日本大使館の政務班長だった角崎利夫氏。これまで私が読んできた硬い外交文書とは異なる表現で、1985年に書記長に就任し
その朝、衝撃的な映像がテレビに映し出されました。広島の上空を飛ぶヘリコプターがとらえた泥水で覆われた街です。 「4年前の土砂災害の悲劇がまた繰り返されたのか」 「みんな避難できたのだろうか」 同時に前の日の夜、私たちがあちこちで目にした光景を思い出しました。自宅に帰る途中で起きていた激しい渋滞です。その意味を考えました。(広島放送局記者・秦康恵・大石理恵) 前日の6日朝。4年前に土砂災害に見舞われた広島市安佐南区に住む私・大石は、ふだんどおり、小学生の長男と朝食をとっていました。いつもと違ったのは、大雨警報が出て長男の学校が休校になったこと。「学校に行けなくて退屈だ」とぼやく長男を母に預けて出勤しました。 この記事を書いているもう1人の私・秦は、今回大きな被害が出た呉市に住んでいます。隣接する広島市に電車で通学する中学3年の長女を早朝に送り出した後、次女を母に、3歳の長男を保育園に預け、「
記録的な大雨で、各地で大きな被害が出ていることを受け政府の「非常災害対策本部」の会合が開かれ、安倍総理大臣は、「今なお安否不明の方が多数いる」と述べ、被災者の救命・救助や避難誘導に全力をあげるよう関係閣僚に指示しました。 「非常災害対策本部」は、防災担当大臣を本部長として、総理大臣が臨時に設置するもので、設置は、おととし4月の熊本地震以来です。 会合で、安倍総理大臣は「今なお安否不明の方が多数いる。孤立して、救助を求めている方もおり、時間との戦いだ。5万4000人の救助部隊が懸命に救助に当たっているが、事態の変化に応じ、態勢を機動的に強化するなど引き続き全力で、救命・救助、避難誘導に当たってもらいたい」と述べました。 そのうえで、不足している物資の提供やライフラインの早期復旧に向けた支援を被災自治体と連携しながら行うとともに、避難所の衛生状態の確保や仮設住宅の活用など、先手先手で対応するよ
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