渋谷、恵比寿、目黒といった都心方面から目黒川へ、西に向かう急な下り坂がいくつもある。目黒駅のそばには国土交通省が「東京富士見坂」の一つに選んだ坂もあり、運がよければビルの谷間から富士山が見える。江戸時代の目黒は、田畑や林が広がる農村。市街地から近い富士見の名所として人気があり、しばしば浮世絵にも描かれた。落語の「目黒のさんま」は、なんとなくのどかで楽しいイメージから生まれた話であろう。 そんな富士を望む高台に、江戸後期、「元富士」と「新富士」ができた。富士山は信仰の対象だった。信者の集まりである富士講は八百八講といわれるほどたくさんあり、団体で登拝した。実際に富士に行かなくても御利益を得られるという触れ込みで、講の町人たちが総掛かりで富士を模した小山「富士塚」を築いたのだ。