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美学に関するyifeのブックマーク (2)

  • 「カテゴリー」を持ち出しても話は変わらない:西村「プラスチックの木……」書評への批判を受けて。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    1. はじめに 昨日書いたものに対して、著者西村の弟子筋とおぼしき昆虫亀から反論・批判がきている。 西村清和『プラスチックの木はなにが悪いのか』への山形浩生氏の書評 - 昆虫亀 ぼくは「プラスチックの木はプラスチックであるからとにかくダメ」という西村のの議論に対して、「それは結論ありきの循環論だから無意味、物と人間には区別できないプラスチックの木ができたらどうするの」と批判した。 それに対して昆虫亀は、美的体験はそのモノの帰属するカテゴリーで左右されるから物理的に区別がつかなくても関係ない、と主張する。 さてぼくは、この反論・批判は、反論にも批判にもなっていないと思う。それどころか、ぼくの当初の論点をさらに強化する例示にしかなっていないと考える。 2. ちがうはさておき「まちがっている」となぜ言えるの? まず一つ。昆虫亀はここで、問題を矮小化している。自然の木とプラスチックの木はカテゴ

    「カテゴリー」を持ち出しても話は変わらない:西村「プラスチックの木……」書評への批判を受けて。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 山形浩生氏の再反論をうけて。 - 昆虫亀

    さっそく再反論が来てました。 http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120121 お忙しい中、わざわざありがとうございます。当に感謝しております。 この議論で世間の皆様がすこしでも美学に関心をもっていただけているようで、こういうマイナーな学問をやっている者としてはありがたい機会であります。 でも相変わらず、山形氏は議論の問題設定を誤解されているようなので、ちゃんと書いておきますね。 1.山形氏の誤解 注意して欲しいのは、ここで議論されているのは 「いきなり目の前に人工物だか自然だかよくわからないものが出されたときに、それをわれわれはどのように判別し、どのように見ることができるのか?」という問題ではありません。 ちゃんと読んだひとはわかると思いますが、 ここで問題になっているのは 「いままで自然樹木が生えていたような場所に、(植物の維持費削減などのために)

    山形浩生氏の再反論をうけて。 - 昆虫亀
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