タグ

2011年4月17日のブックマーク (5件)

  • 東電の英語のHPがすごいと話題に : 2のまとめR

    2011年04月17日 ➥ 東電の英語のHPがすごいと話題に 47 comments ツイート 1:名無しさん@涙目です。(チベット自治区) []:2011/04/17(日) 17:53:52.43 ID:Hu+qmmRv0●?2BP(52) ttp://www.tepco.co.jp/en/news/110311/ 東電が隠蔽工作してんのか? 直リンじゃないと見られない英語版のページ 日語版とは比較にならない程大量の画像 http://www.tepco.co.jp/en/news/110311/images/110415_1f_3_1.jpg http://www.tepco.co.jp/en/news/110311/images/110415_1f_3_5.jpg 5:名無しさん@涙目です。(catv?) []:2011/04/17(日) 17:54:40.96 ID:/hnwgT

    東電の英語のHPがすごいと話題に : 2のまとめR
    yingze
    yingze 2011/04/17
    そうだな米軍が撮った映像は結局公開されていないな。民主党って本当に検閲大好きだな。
  • 【主張】竹島「海洋基地」 こんな時に建設強行とは - MSN産経ニュース

    韓国が不法占拠している竹島(韓国名・独島)付近の日領海内で計画中の「総合海洋科学基地」建設工事の落札が終わり、近く基礎工事が始まることが分かった。 基地は竹島の北西約1キロに建設され、韓国政府が300億ウォン(約22億円)かけ、2013(平成25)年の竣工(しゅんこう)を目指している。不法占拠の既成事実化を狙った不当な工事である。 しかも、日は今、東日大震災の復旧・復興に向けて悪戦苦闘している最中だ。そのような時期に工事を始めるとは、隣国としての信義にももとる。 松剛明外相は衆院外務委員会で、ソウルの日大使館を通じて韓国に抗議したことを明らかにし、「韓国の竹島への措置は到底、受け入れられない」と強調した。当然である。 韓国は大震災直後の先月中旬にも、竹島で大型ヘリポートの改修工事に着手し、5月末に完了する予定だ。これも隣国の不幸に乗じた行為と言わざるを得ない。 また、韓国の金滉植

    yingze
    yingze 2011/04/17
    ブコメが最高! お気に入りにしていて良かった!
  • 福島第一原発の元女性モニターの証言

    14日に福島第一原発の3号機が水素爆発した後、翌15日~16日に大量の放射性物質が撒き散らされて、関東にまで達しました。通常の何十倍もの空気中線量が観測されたのです。 この証言者は、事前に察知して、12日に原発周辺から家族で脱出して会津地方に逃げたものの、そこでは「放射線被爆者の差別」を受け、ゴミ扱いされたと証言しています。 どうも、民放が「みんなで助け合おう」というような美辞麗句を並べ立ててキャンペーンを展開していたのとは裏腹に、現実は、もっと殺伐としたものだったようです。 菅首相 「東日つぶれる、そういう認識あった」 「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官 今後、いろいろ出てくるでしよう。隠していたことが。 さて、この動画も、そのひとつ。 画像クリックで、jidaimedia's channel 「東日大震災 福島第一原発元モニターからの証言 Reported by MIKE

    福島第一原発の元女性モニターの証言
    yingze
    yingze 2011/04/17
    どうなんだろうな、東京電力がクソなのは確定事実だけど。
  • 原子炉容器の蓋、むき出しに 福島第1原発4号機 東電が無人ヘリの画像 - 日本経済新聞

    東京電力は16日、福島第1原子力発電所4号機の原子炉建屋の様子を無人ヘリで横から撮影した画像を公開した。画像からは、原子炉格納容器の黄色い蓋がむき出しになっている様子が確認できる。4号機は3月15日、水素爆発とみられる爆発により建屋が損傷。東電による

    原子炉容器の蓋、むき出しに 福島第1原発4号機 東電が無人ヘリの画像 - 日本経済新聞
    yingze
    yingze 2011/04/17
    次から次からよくも続くなぁ
  • asahi.com(朝日新聞社):震災翌日、油性ペンで号外 米で展示へ 石巻日日新聞 - 国際

    3月12日付の手書きの石巻日日新聞=ニュージアム提供  東日大震災で被害を受けた宮城県石巻市の夕刊紙、石巻日日(ひび)新聞が被災後の6日間発行した手書きの壁新聞が、米ワシントンにあるニュースの総合博物館ニュージアムに展示されることになった。困難を乗り越えて発行された歴史的な紙面として、ニュージアムが紙面の寄贈を日日新聞に求め、同紙が応じた。  日日新聞は震災で通常の編集・制作・印刷ができなくなったが、記者は懐中電灯の光を頼りに油性ペンで記事を書き、避難所などの壁に張り出した。  地震と津波が襲った翌日3月12日付の紙面は「日最大級の地震・大津波」の見出しで、13日付は「各地より救難隊到着」。印刷が再開できたのは18日付からだった。  日日新聞の奮闘ぶりを米紙ワシントン・ポストが報じ、これを読んだニュージアム職員が日日新聞に連絡を取り、寄贈の話がまとまった。  ニュージアムはウェブサイト