出版の世界の片隅にいる者として、ノンフィクション作家・佐野眞一氏が『週刊朝日』に書いた「ハシシタ 奴の本性」と、その後の出版社の対応について思うことを述べておきたい。 いまから20年ちかく前のことだが、私はその頃小さな出版社に勤めていて、屠場労組の主催する糾弾の場に出たことがある。当時の糾弾というのは、十数社の新聞社・出版社の幹部や編集責任者が一堂に集められ、100人あまりの組合員の前で差別表現を謝罪するというものだった。 典型的な差別表現は「士農工商」「屠殺」「屠所に引かれる羊のように」で、こうした言葉を注釈なしに使った出版社は「差別に対する意識が足りない」として謝罪を迫られた。このとき会場を埋め尽くした組合員から、「お前は踏まれた者の痛みを知っているのか!」などと怒号を浴びるのが“糾弾”の由来だ(もっともこうした糾弾は70年代がもっとも激しく、私が参加したときはかなり形骸化していた)。
ちょっと嬉しいことがあったので自慢話でもさせてもらいますか。長いよ。長い自慢話とかろくなもんじゃないな。 なんかもうどのみち文体その他でバレてしまうっぽいのであらかじめ暴露しておくと、俺はとあるバイト主体の小売業を営むおっさんなのだが、このたび、ある商品の販売数で全国ランキングでそこそこの上位に入った。ある商品っていうのは、つゆがあって具材があってなんかそこに大根とか玉子とか入るものだ。ほかにもなんかいろいろ入る。ぱんつは入らない。入れたらもっと売れるんじゃないかと思うが、その場合、客層がちょっと筆舌に尽くしがたい感じになると思うので、それは自粛しようと思う。ひだまり4期スタートおめでとうございます。ゆのっち自体に興味あるか、風呂のお湯に興味があるかで、具材派かつゆ派かがわかると思います。俺は湯船全体にゆのっち由来のエキスがまんべんなく行き渡ってるあたりがすごくいいなあと思うタイプです。君
今でこそ私は、精神科医という、他人の社会適応やメンタルヘルスを気にする仕事に就いているが、かつては自分自身の社会適応やメンタルヘルスにこそ問題があり、学校生活から落伍していた。いや、本当は今でも自分自身の社会適応に問題はあるだろうし、だからこそ人間の社会適応を学び、実践することに拘っているのだろう。 1.私はもともと古い地域社会の出身で、そのコミュニティのなかでは概ね上手くやっていた。私は我の強い、そのくせコミュニケーションの機敏に疎い子どもだったと思う。しかし地域の年長者達はそんな私の取り扱い方をよく心得ていて、私のほうも彼らを慕っていたので、コミュニケーションに困ったことはあまり無かったと思う。私は小学校に行くのを楽しみにしているような子どもだった。 しかし幸せは長く続かなかった。中学校に入り、地域社会の外側の生徒にまみえるようになると、私は年長者の保護を失った。“よく知らない同級生と
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