「既成の政治家で、ある意味やりやすい相手だった」 民主党の小沢一郎幹事長(68)が自民党の青木幹雄前参院議員会長(75)引退の報を聞いてこう語った。一時は「参院のドン」と呼ばれた青木氏はミニ集会の途中でろれつが回らなくなり、軽い脳梗塞と診断されて参院選出馬を断念。小沢氏の青木評は、政治家としての格の違いを強調するものだった。 青木氏は早大雄弁会のつながりもあり、地元・島根で竹下登元首相の秘書となり、六七年から八六年まで県会議員も務めた。一方の小沢氏は六九年に国会議員となり、青木氏が参院議員に転じた八六年には既に自治相を経験し、竹下氏が田中角栄元首相に反旗を翻した「創政会」クーデターの中心人物になっていた。 「九二年の竹下派分裂で青木氏は竹下氏側で参院の取りまとめに尽力し、小沢氏と道を異にした。とはいえその時も、『参院には手を出さないと紳士協定したじゃないか』と小沢氏が詰(なじ)ったの