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2008年5月6日のブックマーク (3件)

  • ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    なんか最近よくドタキャンをされる。前からそういう傾向はあったが,ある程度責任ある仕事的なことを任されるようになって,よりドタキャンされることのダメージが増した。先日大学の後輩2人と別々に約束をしていたのだが,2人ともに,なんと2回連続でドタキャンされて,「ああ,これは,サボりだな」と感じた。 ドタキャンしたくなる感覚というのはよく分かる。人は,未来の自分はスーパーマンだと思っているもので,今の自分がやりたくないことでも未来の自分は笑顔でできると思っている。だから,果たせるかどうか微妙な約束も平気でする。約束の日時が迫って,どんどん行きたくなくなっている自分に気づく。過去の自分め,遂行できる約束かどうかも判断できないのかと思う。いくつか理由を見繕ってみて,妥当っぽい理由が見つかれば,心は俄然ドタキャンに傾く。理由が見あたらなければ,しぶしぶ出かける。出かけてしまえば意外に平気なものだ。 僕は

    ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 光市事件―置き去りにされたもの - 諸悪莫作

    先の光市事件差し戻し審の判決は国民一般の感覚に沿うものであり、同時に被害者遺族の感情に寄り添うものであったと一般には言われている。実際、村氏は判決に対して「納得している」とも語っているし、また、主にテレビからなるマスコミ報道での取り扱いもネット上の多くの声も、この判決によって正義が実現された、被害者遺族の無念が晴らされた、としているものが多数を占めている。 しかし多くの人々がそのように溜飲を下げ、そしてこの事件を記憶の中から風化させていくのとは裏腹に、村氏の人生はこれからも続いていく。村氏にとって子が殺されたという事実は厳然として残り、そしてこれから僕たちがこの事件のことを忘れようとも、彼は、その事実を背負って生きていかなければならない。 今回の事件について「社会が被害者遺族という存在を発見する契機となった」と評する意見もある。確かにそうなのかもしれない。しかし、犯罪に巻き込まれて

    光市事件―置き去りにされたもの - 諸悪莫作
  • SUKEBENINGENSUKEBENINGEN 映画という劣等芸術に夢中な映画ブロガー共は、もう全員死ねよ!

    当の芸術が理解出来ない人達の為にある慰めじゃないですか、あんなの! 美術の世界では「君、才能ないよ」と真っ先に言われた人が「世界の巨匠、映像派」なんて呼ばれているチョロい世界でしょ? フランスのオゲージュツ映画なんてバンドデシネ崩れが殆ど。美大で現代アートが理解出来ない「手先だけ器用なノータリン」がやるのがバンドデシネ。 そしてソコからも落ちこぼれた奴らがフランス映画のトップを張っている。 つまり美術や文学などマトモな芸術分野で挫折した連中が未練たらしくクリエーション世界にすがり付いている、そんな吹きだまりのシミッタレ文化こそが映画だ。 そしてそんな挫折感を抱えてウジウジとやっていた頃はまだ良かった。 最近では「初めから映画志望」という低レベルな連中ばかり、だから完璧に下らなくなった(まるで最初から声優志望なアニメオタク上がりの女の子と同レベル!)。 結局、映画は産業として巨大になり「金

    yodaka
    yodaka 2008/05/06