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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (7)

  • [書評] アフター・ビットコイン(中島真志): 極東ブログ

    書名『アフター・ビットコイン(中島真志)』(参照)の含みは、「ビットコインのブームの後に起きること」ということであり、さらにそれは暗示的にではあるが、ある誘導している関心があると言ってもいいだろう。ビットコインの終焉である。ゆえに、その後に何が起きるのか、と。2017年に入りバブルの状態を見せた後、現状、バブル崩壊の兆しも伺えるビットコインが当にバブル崩壊となり、事実上通貨としては使えないという状態にまでなってしまうのだろうか。しかし、書は、バブルへの懸念に一般的な言及はしているもの、注意深く予断は避けている。では、「ビットコイン後」とは何か。何が起きるというのか。 書の明確な基調としては、ブームとしてのビットコイン現象(その呼称は書にはないが)はしだいに人々の関心が引き(加えて採掘などの原理的な限界もある)、その後には、ビットコインよりもその基技術である「ブロックチェーン技術

    yodaka
    yodaka 2018/01/03
    断言しない慎重な書評。将来的にはある種の地域通貨として普及すると面白いかもしれない
  • 教養について: 極東ブログ

    教養」について、自分はあまり関心がない。いや、「教養」についての話題に自分がいつも頓珍漢な思いがする。ある意味、私にとって教養は非常に明確である。ちょっとメモがてらに書いてみたい。 まず、ヘンテコな結論から先に書く。これは誰か言っているのかどうか知らないが、どんな教養であれ、その基礎がなければなんの意味ないということ。教養の基礎とはなにか。人格か? 正義か? 美的センスか? 私はまるで違うと思う。私は単に独断なのか、私の教養の実は成果なのか、こう思う。教養の基礎とは「人の知性を快活にさせること」だ。そして、その「人」というのは、すべての層の人を含む。 私は教育について、奇妙な理想を持っている。学力なんかどうでもいい。まず大道芸を一つ身につけろと。まったく異文化の町に一人放りださせたとき、誰かの気を引かせ、その人と快活な関係が持てるようにせよ。難しく言えば、「おまえはユニバーサルな人間であ

  • [書評]人生は負けたほうが勝っている(山﨑武也): 極東ブログ

    あまりブログを書く気がしない。なら書かなくてもいいのだろうが、思うことがないわけでもない。またあまりストレートなことを書くのもなんだしと逡巡して時は過ぎる。そんなことを思いながら雑多に読んだの山を見ていると、「人生は負けたほうが勝っている 格差社会をスマートに生きる処世術 (山﨑武也)」(参照)を見つけた。 今年の年頭に出たもので書店で表題を見て惹かれて読んだ。私も、人生っていうのは負けたがほうが勝ちだよな、と思っているくちなので、同意見だなとそれだけの理由で読んだものの、いろいろ啓発されることがあった。ただ、こういうのは若い人にはわからないことが多いだろうしとこれもまた時が過ぎ去った。が、さらりと再読してやはりこれは良書というか、30代くらいのビジネスマンなら今読んでおくとおかないとで20年後に違いがでるかもしれない大人の知恵が詰まっているなと思った。ので、ちょっとエントリに書いてみる

    yodaka
    yodaka 2007/11/20
    『30代くらいのビジネスマンなら今読んでおくとおかないとで20年後に違いがでるかもしれない大人の知恵が詰まっているなと思った』 ほほう。
  • ザビエルが見た四五〇年前の日本人: 極東ブログ

    連休が続く。今日は世田谷あたりで二七度にもなるという。ブログに書く話もないような日だがなんとなくエントリを埋めておく。ネタはザビエルが見た四五〇年前の日人。どんな日人だったのでしょうかねと、前振りなのですっとぼけてみる。ネタ元は「海から見た戦国日 列島史から世界史へ」(参照)である。 ザビエルは一五四九年彼の上司がいるのだろうインドのゴア宛に鹿児島から書簡を送った。以下は同書の引用であって、べたな書簡翻訳ではないと思う。それと、引用部での「私」とはザビエルのことである。 私には、日人より優れた不信者国民はいないと思われる。日人は、総じて良い素質をもち、悪意がなく、交わってすこぶる感じがよい。かれらの名誉心は特別強烈で、かれらにとっては名誉がすべてである。 このあたりは現代日人にもまだ通じるところだろう。根っから日嫌いやイデオロギー的な意図のある外国人とかオオニシとかを別とすれ

    yodaka
    yodaka 2007/05/04
    日本人の戦い方としては『謎とき日本合戦史』が面白い。白兵戦なんて思ってたよりずっと少ない。
  • 極東ブログ: 誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう?

    誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう? 誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう? すごく単純な問題かもしれないが、ざっと調べた範囲では名称の由来はわからなかったし、なぜマスコミがこの名称をそのまま使い続けているのかもわからなかった。どうにも変な気分がするので、些細なブログだけど問題提起しておこう。あるいは単純明快な答えがコメントでいただけたら幸い。 ネットを見ると同様な疑問を持っている人が多数いる。新聞などにも投書があったらしい。三月一〇日付け産経新聞”【風】「赤ちゃんポスト」の名称に反対”(参照・キャッシュ参照)ではこう。 「赤ちゃんポスト」の名称について、大阪府阪南市の70代の男性から意見が寄せられた。 《貴紙では「ポスト」の表記は中止していただけませんか。命の

    yodaka
    yodaka 2007/05/02
    なるほど。命名にまで関心は持っていなかった。どっちにしろ育児放棄(ネグレクト)に遭うくらいなら、こういう社会的受け皿があったほうがいい。
  • [書評]アフターダーク(村上春樹): 極東ブログ

    もう少し間をおいてから読むつもりだったのだが、なんとなく夜というものにつられて「アフターダーク(村上春樹)」(参照)読んでしまった。日では長編という扱いになっているのだろうか。しかし長編というほどの重さはなく、さらっと数時間で読める。私は朝を迎える前に読み終えてしまったのだが、できたら、そのまま渋谷の深夜でぶらぶらと彷徨して読みたかったようにも思う。街の深夜が、いとおしいというのでもないが、とてもキーンに感じられた。 この作品も従来の春樹らしい作品だと言える。あるいは言えると思う。冒頭の「私たち」の映画的な、あるいは無人称的で超越的な(吉隆明のいう世界視線のような)視線を維持する文体が少しばかり従来の村上春樹とは違った印象も与えるが、展開されているエピソードと会話はむしろ初期の村上春樹の短編を特定の主人公に寄りあわせたようになっており、その意味では短編集という趣も感じられる。 作品の統

    yodaka
    yodaka 2007/03/15
    たまたま読んでる最中。
  • パートタイマーの労働組合: 極東ブログ

    ラジオを聞いていたらイトーヨーカドーのパートタイマー一万五千人が労働組合に加入したという話があり、えっと思ってその背景はどうなのだろうかとネットを見たのだが、よくわからない。年末「極東ブログ: セブン・ミレニアム統合メモ」(参照)を書いてから、この関連の問題が気になっていた。 現状ネットのリソースとして、「イトーヨーカドー 社会的責任CSR パートタイマーへの配慮」(参照)を見ると、二〇〇五年度の報告ということもあるが、その兆候への示唆は読みづらい。 現在、イトーヨーカドーのパートタイマーは労働組合に加盟していませんが、パートタイマーへの評価制度や店舗閉店時の対応などについては、労使双方による確認を行っています。 また、労働組合では「パートタイマーがやりがい・働きがいをもてる環境づくりが当社の発展に不可欠」という考えのもと、パートタイマーとの懇談会や支部交流会などを実施しているほか、労働組

    yodaka
    yodaka 2006/02/13
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