--首相としての平沼騏一郎はどういう人だったと聞いているか 「マスコミ関係からは『右翼の総帥』『ファッショの首魁』と言われていたし、元老だった西園寺公望からは『迷信家』『神がかり』と言われた。だけど騏一郎は、日本の皇室を非常に大切にする、皇室中心の日本を作っていきたい、というのが信条だった」 「首相としては短い期間だった。退陣した理由は『独ソ不可侵条約』だ。ドイツとソ連が不可侵条約を結ぶなんて考えられなかった。ところが、そうなってしまった」 「昔の政治家の考え方というのは、今のような国民主権の時代じゃないから、天皇から政治をお預かりしていたという価値観なんだね。まさかドイツとソ連が不可侵条約を結ぶとは思わなかった、政治家として見通しを自分は誤った、これは自分の責任だから政権を返上します、ということだったんだ。こういうのを、欧州で教育を受けた新しい物好きの西園寺に言わせると『迷信家』となった
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